日露戦争と栄養のはなし
ある軍艦が外国の港に着いた時に、空砲を鳴らせなかったのです。(確か戦艦『筑波』です)
当時、どんな軍艦でも港に着いた時はそれを知らせる為、
空砲を鳴らすというのが、世界共通のエチケットでした。
それを、日本は破ったのです。
その理由は簡単。空砲を鳴らす係の人が脚気で動けなかったからです。
後に日本はその事情を説明しましたが、これにより日本はとんでもない大恥をかきました。
そこで、漸く政府は莫大な資金を投じて、兵食の改善に踏み切ったのです。
(軍艦一隻に二十何万かかる時代に、兵食改善の実験は五万ほどかかりました)
明治17年。
先の失態をやらかした軍艦と同じ規模の軍艦で、兵にはたんぱく源に富んだ、良い食事を与えました。
すると、脚気にかかったのは、わずか数名。
しかもその数名というのが、麦飯が嫌すぎて、
麦だけ箸でつまんで捨ててた人達だったのです。