日露戦争と栄養のはなし



ある軍艦が外国の港に着いた時に、空砲を鳴らせなかったのです。(確か戦艦『筑波』です)


当時、どんな軍艦でも港に着いた時はそれを知らせる為、

空砲を鳴らすというのが、世界共通のエチケットでした。

それを、日本は破ったのです。

その理由は簡単。空砲を鳴らす係の人が脚気で動けなかったからです。

後に日本はその事情を説明しましたが、これにより日本はとんでもない大恥をかきました。

そこで、漸く政府は莫大な資金を投じて、兵食の改善に踏み切ったのです。

(軍艦一隻に二十何万かかる時代に、兵食改善の実験は五万ほどかかりました)


明治17年。

先の失態をやらかした軍艦と同じ規模の軍艦で、兵にはたんぱく源に富んだ、良い食事を与えました。


すると、脚気にかかったのは、わずか数名。

しかもその数名というのが、麦飯が嫌すぎて、

麦だけ箸でつまんで捨ててた人達だったのです。


< 14 / 21 >

この作品をシェア

pagetop