日露戦争と栄養のはなし
しかも、脚気は悪化すれば、死に至る病でした。
心筋がやられたり、呼吸困難になると、発作的に死んでしまう事が多々あったのです。
死亡者は多い時で年間二万人だったとか。
(現在の年間交通事故死者数のおよそ二倍と言っても過言ではないかもしれません)
ちなみに、14代将軍の徳川家茂も、脚気で亡くなったのではないかと言われています。
(あまりにも突然な死だった為、毒殺説もあります)
脚気は、普段から肉や魚など、良質なタンパク源になるものを摂取していれば、滅多にかかることは無いのですが、
実はその頃、「食べ物の事をとやかく言うのはよくない」
などという儒教的思想が蔓延していた為、
食事は信じられないくらい質素なものだったのです。
そして、その質素さは明治以降も持ち越されます。