女教師
「そうですか。…ぼくの家は貧乏ではなかった。むしろ誰もがうらやむ暮らしをしていたのかもしれない…。幼い頃から父と母はほとんど家にいなく、世話をしてくれたのはメイドの佐代子だった…。」
 根岸先生は遠い目をして語っていた。
 「そんな父に私が唯一教わったことは『千尋、欲しい物はどんなことをしても手に入れろ。それが成功の秘訣だ』と。それが記憶にある最後の父の言葉だった。」
 「最後の言葉…?」
 私は根岸先生を見つめた。
 「うん。父は過労で倒れ、それから植物人間になっている。もう死んだも同然さ。」
 「そんな、死んだって…。それでもまだ生きているじゃない…」
 「いいんだ、気休めは。もう長くないこともわかっている。」
 根岸先生は頭を抱えた。そんな根岸先生に同情を抱かずにはいられなかった。私は無言で根岸先生の肩に手をかけ、熱い視線を送った。根岸は、その下で仮面をはずしたようにニヤリと口元を上げたのである。
 「…根岸先生、先生もいろいろ話してくれたので私も悩み事を打ち明けてもいいですか。」
 根岸先生は顔を上げると、もう元のニコニコ顔に戻っていた。
 「どうぞ、何なりと…」
 「あの、兼山のことなんですけど…」
 私が彼の名前を出すと根岸先生は決まって暗い雰囲気をつくる。でもずっと疑問に思っていた。なぜ、先生達はこういう態度をとるのだろう。なぜ彼の境遇を理解してあげないのだろうと。彼が出している信号に気づいてやったことはあるのだろうか。私はそれが不思議で仕方がなかった。しかし新米の私の考え方よりもやはりベテラン教師の考え方のほうが正しいということだろうか。
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