君へ

「あれが姫さんかぁ。写真より美人さんだよねぇ」
なおの姿が曲がり角に消えていくのを見送ってから俺より5センチ頭上から声がする。
見なくてもこの中身とは裏腹な軽い喋りは分かる。
春だ。
「当たり前だ」
何をいってるんだ大体なおは写真も本人も声も仕種もなにもかもが可愛いんだっ。
口に出せば更に煩いので心中のみにしておくが。
「でも姫さん一ヶ月前の報告書より痩せた?朝も全然食べなかったし」
分かってる。
わざとらしく再確認するなと睨む。
「姫のことになるとホント永久は怖いよなぁ」
とまたお手上げのポーズをとり、家へと踵を返す。
「分かってる。前から少食だったけどあんなじゃなかった」
やっぱりこの4年の間で…。
「でも姫さん笑ってたじゃん、永久しか見ないで」
沈みそうになる俺に春が声をかける。
下げたり上げたり忙しいヤツだ。
「相良正雄は今はどうなってる。笠井との話しは終わったんだろ」
彼女の今までも大事だけど更に大事な今後についての話しを始める。
笠井はうちの顧問弁護士だ。
かなり優秀で負け知らずの交渉上手だ。
「ああ。昨日夜中2時に連絡あって」
義務教育者に夜中の2時ってとしっかり起きていた筈のこいつは大袈裟に騒ぐ。
俺は無視して急かす。
「かなりゴネたらしいけどキリイの名前出したら黙ったって」
キリイーーー切石。
俺の家の名前。
切石永久、が俺の本名。
なおにしか告げないで五年前去った俺。
「そう。条件は飲ましたの」
第一 相良透尚に今後半径10メートル以上近づかない。
第一 相良透尚に今後指一本触れたら即刻警察に通報(もしくは切石の名に掛けて社会的抹殺)。
第一 今まで相良透尚名義で乱用していた保険金の返金。

「キリイの名前出したら相当びびって飲んだらしい」
そう。
これでなおの傷が消える訳ではないけどこれからは傷が癒えるようにずっと傍にいるから。
そっと胸のうちで決意する。
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