約束
「そういえば携帯の番号とか、聞いていい?」

 彼はそういうと、ジャケットに手を伸ばす。

 番号?

 その言葉に反応し、今まで考えていたことが一気に吹き飛ぶ。

「今すぐ持ってきます」

 そのまま自分の部屋に飛び込むように入った。だが、いつも机の脇に置いているはずの鞄がどこにもない。私はどこに鞄を置いたんだろう。

「田崎さん?」

 ドアの向こうから木原君の声が聞こえる。

 鞄が見つからないが、彼を無視できずに扉を開けると外を覗く。

「鞄なら隣の部屋に置いてなかった?」

 そうだった。私は今日、一度も部屋に戻ってない。

「取ってくるね」

 隣の部屋に入ると、木原君も入ってきた。同じ部屋だということにドキッとしたけど、これから一緒に住むとなるとこういうことも当たり前になるんだ。

「木原君は嫌じゃないの?」

「でも、親がそれで安心するならいいかなって。母さんが特に心配性だから」

 あの綺麗なお母さんを思い出していた。わずらわしいと思ってもおかしくない母親の心配を受け止めていることが木原君の人柄を表している気がして、ほほえましかった。

 私達は携帯の番号を交換した。彼は携帯のキーを触りながら、こう告げた。

「必要じゃないときにはかけないから安心して」

 本音を言えば、毎日でもかけてくださいと言いたいけど、そんなことをいえるわけもない。私から電話をかけるなんて、そんなの絶対に無理。

 でも、彼の携帯の番号が聞けたんだから、父親のおせっかいもたまには悪くないかもしれない。


 木原君と一緒に住むか…。そんなうそみたいな話が本当に現実になるんだろうか。

 私は目の前にいる彼を見ながら、現実をいまいち受け入れられないでいた。
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