後向きの向日葵
実際、小説家として名を馳せる夫に対して、負けるとか、中途半端という響きを認めさせるには、この方法しか無かった。
そして、千賀子さんがこの事態に至る前、彼は、彼女にこう述べたこともあったのだ。
「小村さんは、偉いなぁ・・・。」
「ちーさんも是非、見習うといいよ・・・。」
彼の敬う小村さんというのは、同じジムに通う小柄な女性のことだ。
小村さんは、心臓疾患を持っていた。
そのために酸素ボンベを持ち歩き、働き、その後、大好きなスポーツをしにやって来た。
ある日、レッスン中に彼女の呼吸が荒くなってしまい、彼女の不調と努力が、そこに通って来ていた者全てに知れたのだった。
千賀子さんの夫はこの健気な姿に、いたく感動してしまったのだった。

他方、小村さんの生き方については、千賀子さんも感銘を受けていた。
それはまるでマラソンを走り抜きふらふらと倒れこむ、か細い体の選手を前にする思いだったに違いない。
小村さんの状況に比べては何一つ、現在の千賀子さんには疾患が無かった。
その上、自宅の貧困を支えるために苦労を経験していた、結婚前の自分については、全く関心を向けることが出来なかった。

千賀子さんはつまり、こういう人だったのだ。
無論、夫によって得たこの言葉に千賀子さんは、一層、自分を小さく思うしか術がなかったのだろう。
そうであったにも関わらず彼女は、決して、夫には歯向かわなかったのだ。
夫の言うことはむしろ、最もだと思い込んでいた。
そして、それとは無関係なことだと努めて思いながらも、コーチに対して、燃えるような恋心を抱くようになっていたのだ。
と言うのも、このコーチのかけてくれる言葉には何一つ、彼女の心を刺す類のものはなかったのだ。
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