恋せよ乙女
本当は、一緒にいて欲しいのに。
大丈夫だと、抱きしめてほしいのに。
様々な感情が交錯した今のあたしが、そんなことを言える訳も無い。
だから、眉間にシワを寄せ、黙ったままの氷室さんから手を振りほどき、ゆっくりと背を向ける。
刹那、垣間見た氷室さんの表情が悲しそうに歪んでいたことに、気がつかなかった訳では無いけれど。
「……紫音、僕の話を聞いて。」
そんな彼の言葉を背中で受け止めたまま、あたしは歩みを止めずに玄関を出た。
このままじゃいけない。
こんなことをしていたら、まさに鈴木さんの思うつぼだ。
それにあたし自身、きっと後悔する。
そうは思うのに、涙は一向に止まりそうにない。振り返ることさえできない。
一時でもいいから全てを忘れたくて、歪むオレンジ色の世界、止まらない涙を拭うこともせず、ただひたすらに走った。