恋せよ乙女

「ちょっと紫音、何で泣いて……」


あたしが泣くと困る、確かに以前、氷室さんにそう言われた。その時と変わらず困惑に揺れる瞳が、無性に愛しくなる。だって彼は、何にも変わってない。あたしの大好きな、氷室さんのまま。

―――なのに。


「……思い出さなくていいなんて、そんな悲しいこと言わないで。」


あたしを想っての言葉だと、結論だと、そんなことはわかっている。記憶を忘れてしまったあたしに、原因はあるということだって。

でも……、でもね。


「今までをなかったみたいにするようなこと、あたしにはできない。」

「え? 紫音、まさか……」


言い様の無い表情を浮かべた氷室さんが、訝しげにあたしを見つめる。
だからあたしは、頬を伝う涙を拭うこともせずに強く氷室さんを見つめ、ゆっくりと口を開いた。
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