サクラナ
 「やー。久し振り。」

 しかし、
彼女は吉野の顔をきょとんと見つめるだけで返事はしなかった。

 「おれだよ。忘れたのか?吉野だよ。」

 彼女は首を傾げ、

 「あのー、どちらの吉野さんですか?」

 と真面目な顔で尋ねた。

丁寧な言葉だが、その声はサクラナの声に似ていた。

 「冗談だろ。おれだよ。
まだ、あの時連絡しなかったこと怒っているのかよ。」

 吉野が少し興奮ぎみに喋りはじめたとき、
首に巻いたマフラーが引っ張られるのを感じた。

 吉野はその方向を見た。
顔こそ良く見えないものの、
車椅子に座った白髪の老婆らしき人間が
マフラーを引っ張っているのがわかった。

 「だめよ。そんなことしちゃ。」

 サクラナらしき人物がその女をたしなめているとき、

 吉野はサクラナと思い込んでいた人物の顔を
じっくりと見た。

 そして、愕然とした。

 『ない。右目の下の黒子がない。
 ここにいるのは、サクラナじゃない。』

 吉野が動揺していると、また、マフラーが引っ張られた。

 「だめ。ほら、だめよ。」

 それでも、
老婆は引っ張るのをやめなかった。
< 73 / 89 >

この作品をシェア

pagetop