追憶 ―箱庭の境界―
私は黒猫を抱き上げて、
しっかりと足で立ち上がる。
陽の光が射し込む戸を、
少し目を眩ませながらも、ゆっくりと開けた。
「ぱぱ、おはよう?」
戸の前で待っていた瑠璃の頭を優しく撫で、妻の姿を探す。
ばつの悪い表情の妻の手には、
慌てて用意したであろうキャットフード。
「……ごめんなさい、あなた…」
「…ふふ、やっぱり?」
黒猫はやはり機嫌が悪そうに床に飛び下りると、妻の手元に駆け寄って行った。
私の元には、代わりに瑠璃が。
起きて来た私に、嬉しそうに笑顔を向ける。
「…嫌だ~…私ったら。ごめんなさい、起こして…。アンネも、ごめんね…?」
慌てた素振りで交互に謝る妻。
普段はしっかり者の、時折見せる間の抜けた姿に苦笑する。
「…ねぇ…怒ってる?」
「ふふ…」
此処は「箱庭」。
富も、
権力も地位も…
何も持たない私に与えられた、
柔らかな、
唯一無二の場所。
「…いいえ、幸せな光景です。」
穏やかな笑顔。
優しい空気が流れていた。