空色幻想曲
「ならば、老いぼれの戯言(ざれごと)と聞き流してくだされ。
──『予感』がするんじゃ」

 そう語った顔は、教育係のものではない。見開いた双眸(そうぼう)に、若かりし日の騎士の気迫を呼び覚ましたかのごとく険しい光を閃かせていた。

 それは、今ここが戦場に変わってしまったのではないかと錯覚するほどの殺気を帯びており、このギラついた眼ににらまれたら、普通の侍女であれば悲鳴をあげていたかもしれない。

「……と、おっしゃいますと」

 怯んだ様子は微塵(みじん)も見せず、息混じりの声で問いかけた。

「近年、上流貴族に不穏な影がある。噂程度のものじゃが、放っておけばこの国に良からぬことが起きそうな……不吉な予感じゃ」

「ダリウス様……」

「悔しいが、今の儂に騎士として戦う力はない。じゃが、貴族の繋がりはある程度ある。
 この老いぼれにも力になれることがあれば貸そう」

 衰えぬ眼光。鬼気迫るほどの凄味はあっても曇りや(けが)れは一片も感じられない。
 その鋭い双眸を平然と見据え、明瞭に答えた。

「兄に伝えておきます」

「よろしく頼む。
──私はこちらに用事があることを思い出しましたので。では失礼」

 途端に張りつめた空気がかき消えた。
 いつもの教育係の顔に戻ると、目の前の角を曲がらずに回れ右をして来た道を引き返していった。

 黒いスーツ姿が見えなくなって足音が消えた後、回廊に残されたシレネは安堵の息をもらした。肩で切りそろえた彼女の黒茶の髪が視線の動きに合わせてかすかにゆれる。

「珍しく抜かりましたわね」

 ちらりと向けた視線の先──曲がり角にある太い支柱の陰から、一人の男が姿を見せた。
 白壁にちらつく、(あか)
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