君を愛す ただ君を……
「毎日、毎日、すげえ苛々する。あんたとお袋の記憶がないってだけで、生活には支障がないはずなのに…いろいろと不便なんだ。人生のほとんどを忘れたみたいな気がして…医師としての知識は丸々残っているのに、何がなんだかわからねえ」

マグカップを二つテーブルに置いた越智先生が、見なれないソファに深く腰を落とした

あたしはお茶を飲んでる越智先生を横目で見てから、またコルクボードの写真に目を戻した

ソファは居間に一つしかない

二人掛け用のソファ

座るばしょはそこしかなくて、あとは床に座るか……ダイニングの椅子か

でも越智先生がお茶を置いてくれた場所は、越智先生が座っている隣の位置にある

それはきっと……無意識に置いたんだろうけど

あたしの意識は過剰に反応する

あたし、越智先生の隣には座れないよ

だからと言って床にべたっとお尻を落とすのも悪い気がする

ダイニングのほうに距離を開けて座るのも、あからさま過ぎてさらに気がひける

行き場所を失ったあたしの身体は結局、写真を見ている振りしかできなかった

コトンとマグカップが置かれる音がすると、あたしの身体がびくっと反応する

「怯えるなよ。あんたを傷つけるつもりはねえから」

越智先生の力のない声が、あたしに告げる

わかってるけど…なんか、怖い

どうしていいかわからないのは、あたしも同じだよ

突然…ぎゅっと背後から、抱きしめられた

え?

「やっぱ…落ち着く」

越智先生のホッとした声が、あたしの耳元で聞こえた

あたしは驚いて、越智先生の手を振りほどくと距離を開けて振り返った

「な…何をするんですか!」

あたしの言葉で、越智先生の顔がひどく傷ついた表情になった

< 295 / 507 >

この作品をシェア

pagetop