耳のない男
私は手にしていた箸をカウンターに静かに置いて、男に告げる。
──今日は帰るよ。お勘定。
私はゆっくりと椅子から立ち上がった。床につく足が微かに震えているのを気取られないように注意しながら。
──またお待ちしております。
男は、気付けば店内に一人だけの客になっていた私を、出口まで見送るため後からついてきた。
そして私が暖簾をくぐり、通りに出ようとしたその時。付け加えるように言い足した。
──水畏村、というのは後から直された名前なんです。本当の村の名は“耳無村”(ミナシムラ)。そこで祭られていた神様には、片耳が無い、ということからそう呼ばれていたんですよ───。
……翌日、私の耳はなくなっていた。
いや、なくなった、というのは違うかもしれない。焼け爛れたようになっていたのだ。
鏡を見つめながら私は呟く。口元に微笑を浮かべながら。
──今日からしばらく、よろしく頼むよ。
テレビから垂れ流されるニュースでは、耳のない男が変死体で見つかった、というつまらない訃報が聞こえてきていた……。
《終》