今日、世界は終わるのだ




「グラム」

クローゼットに直行し、ハジに対する苛立ちをぶつけるように乱暴に扉を開け放つ。
被せていたシーツを剥ぎ取り、一言怒鳴ってやろうと口を開けて――。

「……グラム?」

閉じた。
そこに居たのは、膝を抱えこんで顔を俯せ、弱々しく座り込んでいる、金色の簔虫。

「グラム、痛むの?」

包帯に巻かれた拳を、血が滲むのも構わず力一杯握り締めている。呼吸も荒い。

「ちょっと」

肩に手を伸ばせば、そこは小さく震えていた。

「あんた……」

部屋の灯りに照らされた顔色はこれ以上ないというほど青い。
消耗しきった青白い顔は怯えているようにも、苛立っているようにも見える。
かさかさに乾いた唇、焦点のあわない瞳が、震えるままあらぬ方を睨みつけて。
――血走った、獣の眼だ。

「ハ……、」

荒い息を吐いて、グラムは私に顔を向けた。目に掛かる金髪が、汗で束になっている。

「……リ、ナ」

掠れた声で、それでも私の名前を紡いだことに安堵した。
まるで、私のことなど見えていない様子だったから。

「傷が痛む?」
「いや……」

私の腕に縋るように掴まりながらなんとか立ち上ったが、まだ息が荒い。
よろける体は、熱が上がったわけでもないらしかった。

(……冷たい)

いつも熱で燃えそうな身体が、ぞっとするほど冷たかった。

「――寝る」

私の詮索を事前に拒否するかのように、グラムは荒く吐き出した。

「……解った」

消耗しきった体をベッドまで運び、傷に障らないよう慎重に寝かせる。
そこでようやく深く息を吐いたグラムを横目に、少し考えてから私もベッドに入った。
カーテンがあれば、部屋中のカーテンを閉め切って隠してあげたかった。

シーツでグラムの頭まですっぷり隠して、私は横にはならず、枕に凭れたまま煙草を吸う。
互いに、口をきけなかった。

雨音がグラムを隠してくれたらいいのに。
彼を害するすべてのものから。


「女は……」

寝ていたと思っていたグラムが不意に口を開いた。
既に落ち着きを取り戻していた声に、もう一度、安堵する。

「死因はなんだ」

死んでいたことは、解っていたのか。

「……ナイフで」
「めった刺しか」

私の声を遮るように放たれた言葉に、片眉が上がる。

「どうして、解るの?」
「悲鳴が断続的だった。犯人は、被害者の癖を知ってたんだ。いつもの喘ぎ声に似せるようとして、何度も何度も刺して、悲鳴を上げさせた」

まるで、情事に溺れる娼婦の喘ぎ、そのままに。

「一息で殺せば、ただの悲鳴で終わるからな」

――皮膚が粟立つ。
キャジーを殺した凶悪な犯人が。
それを平静に分析している、グラムが。

「……怖いかよ」

そしてそれを誤魔化すように煙草を揉み消した。

こわいんじゃない、グラム。
そんなことじゃ、なくて。

「リナ」

だらりとベッドに投げ出していた右腕をグラムに引かれる。
熱の籠る手の内が、生々しかった。

「……怖いか」

全身が竦むような、鋭い灰緑。
ぐさり、突き刺さっては返しがあって、抜けない。

「あんたの眼、さ」

あのハジって男に、似てるね。
そう紡ごうとした唇は微かに震えただけで形にはならなかった。
それこそ虫の報せか、グラムにハジの話は不味い。
言ってしまっては、消えてしまう。

……そんな気がした。


「俺の眼がなんだよ」
「別に」
「はぁ?」
「寝る」

グラムが元の調子を取り戻した事に思いのほか安堵して、私はシーツに潜り込んだ。
隣にあるグラムの体温に、はしたなく熱を持つ下肢が恨めしい。
自分の激しい心音に、先程の騒ぎを思い出して知らず溜め息が出た。

本当に、厄介だ。


「……リナ」

今では違和感なく呼ばれる名前。順応している自分。
厄介者と蔑みながら。

「……悪い」

それでも、私は。

「世話掛ける」

そんなことを気にして欲しいんじゃない。
そうじゃなくて。

「……そう思うなら」
「早く治して出てけ、だろ?」

漏れた苦笑が、私の首筋を舐める。
やめてよ。
許すな。

「リナ?」

突然起き上がった私に、グラムの訝しげな声が掛かる。
無垢な顔。純粋な男の顔。
私の大嫌いな、「男」の顔だ。

「……おい」

ベッドから抜けてソファに横になった。
暖房を切った肌寒い空気が、剥き出しの足に牙を剥く。
冷える体を抱え込むようにブランケットに身を包み、腕を交差させた。
背中に感じるグラムの視線を無視していたら、やがて、溜め息がここまで届く。

「おやすみ」

拾った獣に情を移すなんて、あまりにも。

(……バカな、リナ)



< 21 / 59 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop