今日、世界は終わるのだ



乱暴にブラを剥ぎ取られ、弾けたホックが背中の傷にめり込んで瘡蓋が剥がれたのが解る。
疼くような痛み。
反射的に眉を寄せて、耐えた。

「……その顔、すげぇそそる」

猫が、口を歪めて嗤う。
歪な唇の隙間から覗く、赤い色が、私を惑わそうとちらつく。

「鳴いてよ、グラム」

グラムの胸に舌を這わせる。正確には、開いてしまった傷に。

「ッ、ぐぁっ……」

グラムの腹が痛みに波打ち、金色の眉が悩ましげに顰められる。

そそるのはあんたの方だよ、グラム。

痛めつけて痛めつけて、一生、ここに閉じこめてやろうか。
消えるなんて許さない、グラム。

「鳴くの、は……」

荒い息。
与えられ続ける痛みに耐えながら、私の首に回したままの腕に力が込められる。

「……ん」

ほんの一瞬の隙。口寂しい唇が、グラムのそれに重なった。
グラムの唇の凹凸が、私の唇の表面を擦りあげてゆく。

煙草の味じゃない。
ちゃんと、グラムの味がする。
そんな馬鹿みたいなことに悦びながら、手を動かした。
グラムの体に刻まれた、傷という傷は把握しているから。
脇腹の焼け爛れた皮膚の引きつりを撫でて、グラムの下着に手を伸ばす。

――熱い。

グラムが私の下で身じろいだ。
傷は至る所にある。勿論、例外ではない下肢を弄りながら、私は口の奥に消えるグラムの悲鳴を飲み込んだ。

雨の音もなにも、聞こえない。


「……ハジの相手は、楽しかったかよ」

指が、脚が髪が息が。
自分のすべてで私を愛撫しながら、つまらない事を言う。

折角、感じていたのに。


「さぁね」

ひたりと吸い付いてくるグラムの唇は熱い。

感じてるの?グラム。

「良かったか?」

知らないよ。あんな能面みたいな男とのセックスなんて、想像もつかない。したくない。

「……黙りなよ、黙って、感じろ。馬鹿猫」

だから、お喋りはよして、グラム。

口もきけないくらい夢中になってみせて。
本能に従うだけでいいから、溺れてみせて。
愛してなんて言わないから、私を抱いてよ。

グラムの指が私の傷をなぞり、私の指がグラムの傷をなぞる。
指でいたぶったグラムの傷を、私は癒すように舐め、指でいたぶった私の傷を、グラムは癒すように舐める。

――馬鹿みたいだ。
いたぶって慰めあって、それなら傷付け合うなんて真似、しなきゃいいのに。

「ぐっ、ぁ……あ」

低い、艶やかな悲鳴が響く。
私とグラムじゃ怪我の数も重さも違うから、必然的に多く鳴くのはグラムのほう。
悲痛な声は私の体を駆け巡り、そして無駄に高い熱を撒き散らしていくのだ。

「ぅ、あ……ッ」

笑みが漏れる。
私の下で喘ぐ獣は美しい。

「……グラム、もっと鳴いて」

グラム自身を受け止めながら、癒すように宥めるように、或いは煽るように無数の傷を舐めた。

血だらけのセックス。
必然の嗜好。

それなのに。

「最高……」

もう、毛先を滴るのが水なのか汗なのか、解らない。
視界の端に映る窓は淡く白く発光しているようで、暗い灰色の空と街は、霞むほどの雨に覆われている。

――そうだ。
所詮、私は廃れた街の腐った蟲の一匹に過ぎない。

(でも、グラム)

あんたは、違うから。



「……おい」

グラムが、ふとまともな表情を浮かべた。
熱に浮かされた頭で首を傾げて、灰緑に吸い込まれて。

「……な、に」

息が途切れる。
熱い。

「なに、泣いてやがる」

――あんたなんか大嫌いだ、グラム。

「ないてない……」

震える。
弱々しい女を演じてるつもりなの、リナ。

「……泣いてなくねぇよ」
「やめて、よ」

優しくなんて触れられたくない。
私はあんたを殺そうとしてる。

優しくなんかしないで。
もっと痛めつけてよ。

滅茶苦茶に、もうこの瞬間だけは、全て忘れられるように。

一緒に、死のうよ。


「リナ……」

呻きながら、グラムがゆっくりと上体を起こす。
それすら繋がったままの体には痛くて、私は息も絶え絶え、必死に喘いだ。

グラムの手。
傷だらけの掌。
それが私の頬を包んで、仰向かせる。
間近で見る灰緑。その眼が嫌になる程、穏やかで。

(――あぁ、本当だ)

私、泣いてる。
間近の緑は歪み、頬に置かれた手の凹凸に生暖かい川の流れが向きを変えた。

「グラム、グラム」
「なんだよ……」

グラムの声がする。
すぐそこで、息をしてる。

殺してやりたい。

――馬鹿だね、リナ。



「……生きて」

死なないで。

「ここを出ていっても、絶対、死なないで」

私の唇を、笑ったグラムの吐息が撫でた。

――生きてる。


「私の知らないところで、死なないで」

今の私は、多分、どうしようもないくらい醜い顔をしているだろう。

涙が、グラムの傷を伝う。
滲みればいいのに。
私が与える痛みに、もっと傷付いてみせて。

「……もし死んだら、殺してやるから」

目の前、独特の笑いが漏れて、私の欠けた隅々にまで染み渡ってゆく。

「おっかねぇな」

ああ、その顔。私、その顔が好きだ。
死にかけてる顔より、痛みに歪んでいる顔より、ずっと。

あんたが愛しい、グラム。



「う、ぁ…、あぁ…」

抱かれながらひたすら泣き続けた。
悲しみか苦しみか愛しさか快楽か、すべてがない混ぜになって、泣いて鳴いて啼いて、喘ぎ声なのか嗚咽なのか解らなくなっていた。

グラムの腕が私を包む。
その傷付いた体では辛いだろう体勢で、それでも私がキスをせがむから。

「……リナ、」

痛みに翻弄されながら、グラムは私を抱き締め続けた。
その腕の中は、熱くて熱くて熱くて、目眩を起こしながら喘ぎ続ける。

「グラム、キスしたい」

私の唇が勝手にそんなことを言う。
キスなんてさっきから、息が続く限り、しているっていうのに。

「したいのかよ」

快楽と痛みに閉じていた瞼を、グラムがゆっくりと開ける。
灰緑の濡れた眼。それだけで、もう、イケそう。

「したい……」

――泣きたい。
ただ静かに、涙を。

雨の音は止まない。
それなのに、終わりはくる。

鼓膜。そこへ直接に響くグラムの呻き声と喘ぎ声が、私を落とそうとしてる。
遠のく意識が未だに繋ぎ止められているのは、グラムが与える胸の痛みでしかない。
雨と同様、終わりなどないように私を苛なむその苦しみは、それでも終わりがくるのだ。

これが終わったら、あんたは居なくなる。


「っ、リナ……」

最期に、グラムは私を強く抱き締めた。
私はただ、グラムの肩に顔を預けて体を震わせるしかできない。

――ぎりぎりで繋ぎ止められていた意識の糸は、余りにも脆かった。

このまま、ふたりで死ねたら良かったのに。



< 36 / 59 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop