今日、世界は終わるのだ




「戻りたまえ、グラム」

それでも項垂れながら、ハジを睨みつけはするが、通用するわけもない。

「……素直に従うと思うか?」

視線に孕ませた意図に、ハジはくすりと微笑んだ。
テリは表情を引っ込め、黙って銃口を俺に向けている。
友人だからという甘ったれた感情は、必要ない。

「君は強い。だからこそ、だ」

ハジの言葉に、武装した待機チームが銃の引き金を引いた。
瞬発、僅かな機械音が室内に響く――それより早く、ひとつの銃口から凶弾が連続して放たれた。

「……っ、」

俺の体を組織の銃弾が掠める前に、テリ以外の待機チームが床に倒れる。

――ざまぁみろ。


「一瞬か。いつ見ても見事。いやはや腕は鈍っていないようで嬉しい限りだよ」

ハジは降参だと言うように両手を上げた。
そのハジとベッドを挟んで立つテリは、やはり黙って俺に銃口を向けている。

「君だけは敵に回したくなかった」

両手を上げたまま、ゆっくりとベッドに腰掛けるハジを一瞥して銃を構えるテリに視線を戻す。

「敵になったつもりはねえよ」
「同じことだ」

ただ裏切りと片付けるには、君は余りにも有益な男だっただけ。

「戻らないか、グラム」

諦める気配のないハジに知らず溜め息が漏れる。
解ってもらおうとは、ハナから思っちゃいないが。

「……俺はな、ハジ」

痛む肢体を壁に預けながら、視線だけそこに向ける。
拳銃を握る右腕は、発砲してすぐに下に降ろした。馴染んだ銃の重さが、今の体には辛い。

「こういうのは、もうしたくねぇんだよ」

銃口から上がる硝煙の臭い。
肉体を傷付けられた呻き声、悲鳴、生々しく肉を抉り、骨を断つ弾、無残な傷跡、吹き上がる血飛沫、残された誰か。


「俺はもう、疲れた」

そう、なにもかもに。

ヒトからすべてを奪うその瞬間に。
殺さずにはいられない、呪われた環境に。
苦痛と感じたわけではなかった。

そうだ、ただ、疲れていた。

「……お前が人の血を忘れられると思うのかい?」

微笑を引っ込めたハジが、至極真剣な表情を浮かべている。
それを受けて、俺は苦笑するしかない。

「勘違いするなよ、ハジ」

壁に体を預けながら、荒い息だけが吐き出される。
このまま深い深い底まで転がり落ちてゆくような目眩を感じながら。

「俺にとって、殺しはただの仕事だ。ただの一度も、テメェの欲の為に殺ったことはねえ」

俺に殺された奴等が聞きゃ、怒り狂うだろうつまらねえ台詞だが。

――ヒトから生を奪う。

それが悪い事なのだという認識すら掠れそうな日々は、俺を安易に暗い底へと突き落とそうとする。
自分が殺した人間の悲しみや、残された家族のやるせなさやそれを批判する正義を振りかざした人間達を背負うのは、もううんざりだ。

「それでももう、殺しは君の生活の一部だろう」

ハジは引かない。

「……あぁ、確かにな」

(間違っちゃいねぇよ)

戦争孤児の俺を、ハジは人形遊びでもするように拾って育てた。
頭のイカれた血生臭い人間に育てられたものだから、はじめのうちは殺人に対して抵抗も罪悪感も、嫌悪感すらなかった。ハジに拾われる前――街のゴミ溜めを転々としていた頃から、我が身を守るために殺し紛いのことをやってきたのだから当然か。
殺しが日常になってくると、感情は麻痺してまともに考えることもしなくなる。

「それでも、頭と体が成長していきゃあ、殺人に対してなにも感じないわけにはいかなくなる」

――そこがお前と違うところだ、ハジ。
お前はでかくなればなるほど、ヒトの生を左右するという一種の異常支配の虜になった。
今じゃ、巨大な犯罪組織を抱える立派なテロリストだ。

「俺の頭がまともだったってだけのことなんだよ」

殺した奴から、仕事も家も、人生も最愛の人間をも奪うことに。
殺した人間の全てを背負うことに。
自分の人生だけでも手一杯だっていうのに、一体何十何百の人間を背負っていけというのか。
組織が仕組む犯罪云々にも、魅力など感じない。

「組織を抜けたいのか、グラム」

ベッドに腰掛けたまま、ハジは静かに俺を見据えていた。
業を煮やしてきたのか、異様な苛立ちを露わにして。

「――あぁ」

組織を抜けてバカンスでも満喫してくりゃ、また殺る気が出るかもな。

冗談か本気か解らない事を言って、俺は笑って見せた。

「私から逃げられると?」

普段よりワントーン低く声を抑えるのは、ハジの許容範囲が爆発寸前なのを示している。
生来から血生臭い嗜好を持つ男は、そろそろ理性を保つのが辛くなってきたらしい。

「数日間逃げおおせただろ。しかも、娼婦の件がなかったらお前は気付きもしなかった」

なにがあっても崩れることのない顔が、じわじわと険しくなってゆく。
微弱な変化ではあるが、共にいる時間だけは長いテリと俺にはよく解った。

「次に逃がせば、お前は俺を捕まえられない」

傷も回復に向かっている。
なにも出来ずにベッドに磔になっていた数日前とは全く条件が異なってくるのだ。
捕まらない自信なら、ある。

「……癪だが、その通りだ」

ハジもしみじみと口にした。

(今まで鎖すら付けずに泳がせていたが、もし彼が本気で逃げようと思えばそのまま消息を断つことなど容易だったのだろう)

ただ、グラムはそれをしなかった。
しかし今度逃がせば、捕まえるのは、もう。

――だが。



「その数日の間、お前は知らずにアキレス腱を作った」

ハジが不意に口許を歪めた。
おおよそ表には出せそうにない狂った微笑み。

「全く、お前は可愛い奴だよ」
「……知らねぇよ」

その手がリナに伸びたと同時、右腕が勝手に動く。
その一瞬後に、テリが引き金に掛ける指に力を込めた。

「女は身を滅ぼすと、あれほど忠告しただろう」

俺に銃口を向けられながら、それを気にする様子もなくハジは楽しげにリナの髪を撫でる。
口元に垂れていた髪を掬い、そのまま唇に指を這わしながら。

「グラム、私の元に戻れ」

脅迫。
誰が応えようか。

それを見越していたかの様に、ハジの指がリナの顎を掬った。
反らされた白い喉元に生々しく、舌舐めずりをする。

「僕が相手でも、良い声で鳴くかな」

リナの顎を掬った指をそのまま流れるように首へと落とした。
最低基準で生活しているリナの痩せた首は、ハジの片手で易々と拘束される。

「……てめぇ」

思わず引き金を引き掛けるが、銃を構えた友人がそれを制す。先手を取られた。
リナに被害がいかないとようにと離れたことが仇になった。

不機嫌を露に眉を顰め、ハジの動向を睨みつける。
女に対してまともな行為をした事のない男の指に、ぐつりと、残酷に力が込められた。
先程まで俺が口付けていた喉が、ひくりと陸に上げられた魚のように跳ねる。

肉に指が喰い込む。


「……、っ」

リナは確かに眠っていたが、締め付けられた喉の奥から悲鳴が上がる。

「やめろ」

荒くなり出した呼吸の合間を縫うように制止を掛けるが、ハジはまるで聞く耳を持たない。
離れていたもう片方の手も、やがてリナの首に添えられた。
細い首では余る両手に残酷にも力が入った途端、リナが目を覚ました。
開かれた瞳孔が、そこに居る筈のない人物を認める。
自分を見下ろす、ハジの歪んだ表情。

「ん、ぁっ」

リナが完全に覚醒したと同時、首に掛かる圧力が増した。
横になっていた痩躯が暴れ出すが、ハジはすぐさまリナの体に馬乗りになり動きを押さえ込む。
首を絞め上げるハジの両腕を掴むが、呼吸もままならないリナにまともな抵抗が出来る筈もない。

「ハジ、やめろ」

自分でも解るほど変化した声色が響く。
その声にハジの手が僅かに緩むが、依然、首を締めたままだ。
喘ぐリナの意識は朦朧とし始めている。

「……戻るかい、グラム」

リナの閉じられた瞼の端。
激しく抵抗していた腕が落ちた。

生理的に伝う涙を唇で吸い上げ、ハジは横目で俺を見た。
リナの睫毛が、弱く震える。

「やめろ」

リナの意識が朦朧とし始めたのを見て、銃口を再びハジへと向けた。
それを横目に、それでもハジは口許に満足げな笑みを湛えている。

(――当然か。不利なのは、明らかに俺だ)


「戻るか、と聞いてるんだ。返事次第では、彼女から手を引こう」

苛立ちのまま引き金に掛けた指に力を込める。ふざけんな。

「殺すぞ」

俺の苛立ちを見て取ったか、ハジはさも愉快だと言いたげに喉奥で笑った。

「君が僕を殺す前に、僕は彼女を殺せる」

プロだからね。
ハジは道化のように肩を竦めたが、依然その両手はリナの首を締め付けたまま。
リナの頚の骨など簡単に折ってしまうだろう。

「……っ」

完全に器官を閉じられたリナが背を仰け反らせる。
喉仏を両親指で抑えられ、全身を電流のような痺れが駆け抜けたかのように跳ねた。

それを見て、グラムの中で何かが弾けた。


『グラム、生きて』

――あぁ、クソ、…!




「――戻る」

獣は敗けた。
凶刃を潜めた狩人が、至極満足げに顔を上げる。

(勝敗などはじめから決まっていたのだ)



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