今日、世界は終わるのだ
「……だそうだよ」
仕事から戻ってシャワーを浴びているグラムにメッセージを伝えると、浴室から喉を鳴らす音が響いた。
「生意気な女」
君に負けず劣らずね、とは言わないでおく。
仕事を終えた彼がこんなに楽しそうなのは久しぶりだ。
原因は勿論、あの口の悪い女性だろうが。
「彼女、薬中の隣人を部屋に入れてピアノを聴かせてたよ」
彼が望んでいただろう報告をテリがすれば、けたたましかったシャワー音が止み、バスローブを羽織ったグラムが出てくる。
濡れて色味の増した金髪が重みを増して、毛先からぼたぼたと雫が垂れていた。
「……なにやってんだ、あのバカ」
先程とは打って変わって、苛立ちを吐き出す表情にテリは皮肉を吐く。
「さすが血だらけの君を拾っただけはあるね」
ハジとグラムの間で使いっ走りさせられてる恨みくらい晴らさせて欲しい。
「ウルセーヨ」
手の甲で綺麗な金髪の滴を拭いながらグラムは中央に置かれたベッドへと向かう。
仕事に復帰すると共に彼はオフィス内の自室に戻ることを許されたのだ。
「彼は勝手に入ってきてしまったみたいだけど」
「鍵は?」
「し忘れてたみたいだね」
そう言うと、ますます眉間の皺が深くなる。面白いなぁ。
「――殺されてぇのか、あのバカは」
そうかもしれない。
独白に近いグラムのそれに、テリはらしくもなく感慨深げに考えた。
寂しそうな彼女の背中が、少し、痛かったのだ。
「……会いに行かないの?」
そうして思わず口にした言葉にグラムが目を丸くした。失言だ。
「リナに、懐柔でもされたか」
ベッドに腰掛け、以前から吸い慣れた煙草とは別の銘柄のそれに手を伸ばす。
解ってないなぁ、君は。
「僕は君の味方だから」
だから、つまり。
「……そりゃどうも」
煙草に火が点くと、グラムは強ばっていた身体から力を抜いた。
彼の一仕事は、例え秒で終わるものであっても神経を消耗し過ぎるのだ。
「……明日も仕事か」
そのウンザリとした様子にテリは心底から同情する。
仕事復帰から数日、女にうつつを抜かす暇など与えないとでも言うように与えられた仕事の山山山。
言わずもがな、ボスの企みだ。
※
女にうつつを抜かしてんのはてめぇだろボケ。
吐き捨てられた独白は、グラムの心中でのみ存在を許されただろう。
――別に、リナに執着しているつもりはない。
グラムの中で、それは確かに事実であり嘘でもある。
認めたいとは、思わなかった。
「明日は」
慣れない煙草のにおいに、テリが鼻を鳴らす。
神妙な顔付き。
大体の予想はついていた。
「動くかもしれない」
連続殺人犯の行方は、未だ掴めていない。
「周期があるんだ」
「事件を起こす?」
話題の殺人事件が勃発する周期。それは偶然性が高いものか、或いは狙っているのかは解らないが。
「隣人の線は?」
煙草を吹かす。
有り難くもないつまらない勘ばかり当たるのは承知していた。
「確信はあるけど、確実ではない。少なくとも実際に見た彼は薬中でありながら正常を保っていたからね。まぁ、演じているのかどうか解らないけど。たまたま波が収まっている時だったのかもしれないし。それに、薬による突発的な事件なら、ここまで捜査が難航するのはおかしい」
――けれど、もし彼なら。
リナは完全に、とまではいかなくともあの隣人に好意を持ってしまった。
少なくとも今日の件で、彼は彼女の浅い信頼を確固たるものにしたわけだ。
「なんというか、きな臭いよね」
「……まあな」
あのハジが関わっていながら長引く殺人事件。
捜査上で見落としているのはなにか?
全くもって証拠や手掛かりが見つからない訳ではないのに、この巨大な都市での微細な事件に過ぎないのに暗礁に乗り上げている。
犯人像は愉快犯。
知能的なのかはたまた偶然に助けられているだけか。
「彼女は武器を?」
なにか危惧するようにテリが呟く。
「銃を置いてきた。いざとなりゃ使うだろ」
「……撃たせるつもりなの?彼女に」
テリの非難じみた目に向かって笑いながら、グラムは煙草を潰した。
立ち登る灰煙は糸も容易く空気に融けていく。
そうして濃くなっていく目に見えぬ毒素を見ながら、まるでリナだ、と馬鹿げたことを考えている。
「させねぇよ」
まぁあの女が、正当防衛の殺人を気に病むとは思わないが。
「……どうするつもり?」
訝しげにテリが見る。
そう急かすな。
「さぁな」
浮かぶ思いも考えも塵芥そのままに消えていく。
ただ、あの女の死体だけは見たくないと、それだけはハッキリしていた。