今日、世界は終わるのだ
「あんたら、なんなの」
やはり、声は震えた。
それを馬鹿にするように、ガキ共は体裁など気にせず笑い出す。
上品な口調とは反対の下劣な笑い方が耳に障った。
苛々する。
――落ち着けリナ。
この銃に弾はあるが、引き金を引いたとしても的に当たるかどうかも解らない。
第一、銃に機能差がありすぎる。例えひとりを仕留めたとしても、次を撃つ前に他の奴等に殺られるだろう。
あぁ、息がしづらい。
「俺らさぁ、最近有名なんだよね」
ケラケラ笑いながら、一人が銃を構えた。
標準が私を定める。脚が竦んだ。
「悪いけどこんなお行儀の悪いクソガキなんか知らない」
私の口は止せばいいのにそんな事を言う。
ガキ共はそれに苛立った様子もなく、またゲラゲラ笑い出した。
その様は壊れた人形のようで、不気味だ。
「知らない筈ないじゃん。俺らの事をさ」
中央に立つ一人が、私と奴等を隔てているベッドにのし上がる。汚い足で上がるな。
「ニュースくらい見るでしょ?」
「ほらこの前の、……ギャシー、だったかな」
まだ若い無邪気な声と嫌な笑い声が鼓膜に纏わりついて不快だ。
「あの時はびっくりしたなぁ。何度も鳴かせてカモフラージュしたつもりだったのに、思いの外、通報が早かったから」
その言葉ですべてを悟って、私は絶望した。
(……あぁ、頭が痛い)
「通報したの、お姉さんでしょ?警官があなたの部屋に行くの、見たもの」
肩を竦めて、まるで世間話でもするように。
興奮もしていなければ、罪悪感も感じていない。
無機質な、人形のように。
――こいつらが、あの連続殺人事件の犯人。
銃を握った手が更に震えた。
「これは冗談じゃないよ」
マスクの口が、にいと左右に伸びた。
「俺らは」
「正義の」
「味方だからね」
耳障りな声で言葉を繋げる。
正義の味方?
人を殺しておいてなにを言っているのか。
「僕らが産まれ育ったニューヨークは、どこよりも美しい、世界に誇るべき街なんだ!」
一人が大仰に芝居がかった台詞を吐く。
「なのに、君達みたいなクズがこの街を汚してる」
ベッドを乗り越えた一人が、向けられた銃をものともせずに近づいてくる。
「クズが息をするだけで空気が汚染されていくんだ。やっすいジャンクフードの臭い息がさあ」
じり、と迫るガキ達に私も銃を構えたまま後ずさった。
こいつらの言っている言葉は、理解の範疇を超える。
「そこの男なんか見てみなよ。毎日毎日、身を粉にして働いても大した金にならない」
俯せに倒れた隣人の頭を近くに立っていたガキが踏みつける。
気を失った隣人は、衝撃に体を跳ねさせた。
思わず隣人の方に気を取られた私を、ガキ共が見逃してくれる筈もない。
「いっ」
いつの間にか目の前まで迫っていた男に右腕を捕まれ捻り上げられた。
向こうに立っていた二人が、それを待っていたかのように寄ってきて、身動き出来ないよう羽交い締めにする。
やけに鼻につく甘ったるい香水に吐き気がした。
「汗水垂らしても報われない彼があんまり可哀想だからさぁ。夢でも見せてあげようと思って」
マスク越しでも目前のガキが卑しく嗤っているのが判る。
「まさか、薬を……」
呟いた私に、ガキは感嘆を漏らす。
「アンタ、クズにしては頭が良いなぁ」
「薬の為ならなんでもしたよ、彼。全く馬鹿みたいに俺らの言うこと聞いてさぁ。利用するには打ってつけだった」
こいつらから香る香水が髪に染み着きそうで嫌だ。
「ねぇお姉さん、大人なのに、全く情けないよねッ……!」
密着させていた体を離したかと思えば、私の髪を勢いよく掴み上げた。
「!」
頭皮ごと毟り取られるような痛みに息を飲む。
皮膚から毛根が引き剥がされる。
「あの不細工な娼婦はつまんなかったけど、お姉さんは楽しませてくれそうだなあ」
まるで意思のない人形でも相手どるように私を扱う。くたばれ。
「イカれた妄想に、大人を巻き込むんじゃないわ、成長しろ、クソガキ」
必死の悪態に体を拘束する腕に力がこもったかと思えば。
左頬に強烈な衝撃。殴られた。
「クズのくせに生意気だなぁ……!正気が保てなくなるまで犯して殺してあげるよ!」
殴られた勢いで下を向いた私の顔を上げさせ、少しの苛立ちを含んだ声で、それでも奴等は興奮気味に嗤う。
「ハッ……」
じんじんと痛む頬に、勝手に苦笑が漏れた。
なんてつまんない終わり方だ。
こんなイカれたガキに殺されるぐらいなら、もう一度だけでも逢いたかった。
あのテリが訪れた時、無理にでも居場所を聞き出して。
(……馬鹿な、リナ)
「なに嗤ってるの?気持ち悪いなあ」
顔を覗き込んでくる嘲りの笑みは、ただ。
「……キモいのはアンタの頭の中だ、この妄想思春期ヤロウ」
自由な右脚を思い切り蹴り上げる。
空中で曲げられた膝は、正面に立っていた男の股間を勢い良く蹴り潰した。
「――生憎、ガキのもんで満足出来るほど若くなくてね」
無様にのたうち回る男を鼻で嗤う。
どうせ殺されるなら、足掻いてからがいい。
「このクズが……!」
別の男が私の頭めがけて銃を振り上げた。
あぁ、これで脳天をかち割られて、私はおしまいか。
(……グラムの馬鹿野郎)
私が死んだことをニュースで見て驚け。
――そして、後悔してよ。
傷 が治っても、あと少しでも一緒にいてやれば良かったって、後悔して。
(……しないだろうけどさ)
それでも、馬鹿げた最期の祈りは届くだろうか。
一瞬でも私の死の悼んで、そのあと忘れてくれたらいい。
「リナ」
振り下ろされた銃が視界の端で静止する。
タイミングよく現れた新たな人物に、私は目を閉じることも忘れた。
「そういう趣味に走ったのかよ」
窓際に置かれたソファに、凭れる様に立つ男。
やる気なさげに構えられた拳銃は、私の頭を狙う男に照準を合わせている。
瞬きすら忘れて、戯言を吐く新参の男を見た。
金髪の鮮やかなその男は、以前手負いだった過去を匂わせない。
「……遅い」
安心感と嬉しさがこみ上げて出た言葉がこれだ。
我ながら可愛げもクソもない。
「涙浮かべて、来てくれたのね……、くらい素直に言えねぇのかよ」
呆れた口調ながら、それでもグラムは笑ってる。
そんなことに、心底ほっとしてしまった。
「な、なんだ、オマエ」
四人のうちの誰かがぼそりと漏らす。
グラムの登場を機に、股間を蹴られた男は震える内股で立ち上がった。
蹲っている場合ではないと思ったのだろう。まるで産まれたての小鹿だ。
決して格好いいとは言えないその姿に、こんな状況ながら私は男という生き物を不憫に思う。
「ガキがいっちょ前に騒ぎやがって」
子供の質問には答えず、グラムは空いた片手で煙草に火を点している。
暢気なのか余裕なのか。
どっちもか。
「この女がどうなってもいいのか!」
先程の余裕はどこへ行ったのか、完全にグラムの気迫に圧されているガキ共は私のこめかみに銃口を当てた。
ゴリ……。
金属と頭蓋骨が擦れる音。その無機質な冷たさに不快が増す。それに、痛い。
恐怖というものはとうに消え失せ、ただ助けを待つだけの状態。
グラムの余裕の表情は、相変わらず生意気だ。
「動くなよ、ちょっとでも動いたらこの女の頭ぶち抜くからな!」
使い古された台詞と共に私のこめかみに更に銃口が喰い込んでいく。更に痛い。
こいつが引き金を引いたら私は終わりなんだ。
どこか遠い次元でそんなことを考えながら、私の視線はグラムを捕らえたまま離れない。
ニタリ。
ムカつく笑みを私に向けた猫は明らかにこの状況を楽しんでいる。
「早くしてよ」
つい、催促が飛び出た。
「……っ喋るな!」
苛立ちも露に、ガキが叫ぶ。
脅しのつもりか、引き金を軽く引いたらしい。
耳元で響く金属の擦れる音に、さすがに体が強ばった。
それを意に介したふうもなく、グラムは煙草をふかしている。このクソ猫。
「素直に助けてって言ってみろ」
「はあ?」
この期に及んで何を言う。
私はこめかみに銃を突きつけられていることよりも、私が怯える様を見て笑っている目の前の金髪にキレた。
「言うかくそったれ。くたばれ」
私の言葉に、グラムは煙草を床に落とす。
ジリ、火を踏み消す音が耳に届いて私は目を剥く。
「ちょっと、床が焦げる」
血みどろのカーペットだけじゃなく床まで傷モノなんて冗談じゃない。
「殺されかけてるくせに、床の心配かよ」
「大家に文句言われんの誰だと思ってるわけ?……さっさと助けろ、この恩知らず」
さも可笑しそうに笑う金色を睨みつけた。
周りに立つガキ共は苛立ち紛れに地団駄を踏む。
「仕方ねぇな」
私の命乞いに満足したらしい。
グラムは酷く緩慢な動きで構えていた銃の引き金を引いた。
――パシュッパシュッパシュッ。
サイレンサーの控えめな音が響く。
同時に、私に銃を突きつけていた男とグラムに銃を向けていた男が倒れた。
「フルオートなんか握りやがって。場所考えろ。くたばれクソガキ」
グラムが再び銃を構える。
「ヒッ……」
私を羽交い締めにしていた男は恐怖に息を飲み、もう一人はグラムに向けて発砲する。
当てずっぽうで撃った弾は、当然のようにグラムには当たらず、窓際のソファに穴を開けた。
ちょっと待て。
とうとうお気に入りのソファまで被害に遭った。
これが終わったら全部弁償させてる。転売しても高額で売れるようなやつ買わせてやる。
未だに体を拘束されたまま、銃弾を避けたグラムに恨めしげな視線を投げた。
(……悪いのはノーコンで下手くそなガキだっていうのは承知してるけど)
ソファに穴が開いたと同時に発砲していたグラムの弾は、立ち竦んでいるガキの左足に寸分の狂いなく埋め込まれた。グラムの動きには無駄がない。
痛みに呻く不埒者は、これで三人になった。