午前0時の誘惑

「それなら黙っていればいいんじゃない? 私と黒川さんだけの秘密ってことで。ね?」


呆然と立ち尽くす黒川さんの唇に人差し指を近づけ、『内緒』のポーズを決め込む。
すると黒川さんは、困ったように照れ笑いを浮かべた。


「お洋服はいつものところにご用意してあると、海生様からのご伝言です」


私のあとに続いて入ってくるなり、黒川さんが背中から声を掛ける。


「ね、黒川さんからも言ってもらえないかな。毎回洋服の用意なんてしてくれなくていいからって」

「私の口出しすべきことではございませんので」


背中をピンと伸ばして真面目顔。
黒川さんは私の要望を一蹴した。
ご主人様には忠実というわけだ。

わざとらしく溜息を吐いて見せた。

ここへ泊まった翌日には、必ず用意されている新品の洋服。
それは、下着から靴から、全て揃えられているという用意周到ぶりだった。
しかも、どれを取ってもサイズがピッタリだというのだから、驚きを通り越して不審ですらある。

一体これまでに、どれほどの女の人を抱いてきたというのか。
海生のあの美しい手は、身体の寸法まで測れる優れものらしい。

それを見せつけられる度に、胸に鈍い痛みが走ることを、海生はきっと知らない。


「よくお似合いでございます」


用意されたものを身に着けた私に向けて、黒川さんがにっこり。

マニュアル通りの決まりきったセリフに、私も愛想笑いで返した。

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