不可解な恋愛 【完】
「杏奈ー」
明るい室内。
いつもと変わらないようで、何かが違った。
人の気配がないのだ。
胸騒ぎがした。ちょうど、杏奈が連帯保証人だとわかったあの日の朝に感じたものと同じ胸騒ぎ。
俺の胸騒ぎは、空振りだったためしがない。
部屋の奥に進むと、いつものリビングはやはり何一つ余計なものが置かれていなかった。
同時に、杏奈の姿もどこにもなかった。
鍵を開けたまま、電気も点けたまま、どこかへ出かけることなんてあり得ないだろう。
ポケットの中の携帯電話を引っ張り出しているところで、ふと、テーブルの上に置かれているものに目がとまった。
白いテーブルに白い封筒。同化していて気付かなかった。
”神崎さんへ”
真っ白な封筒には、小さくそう書かれていた。
嫌な予感が、俺の中で勢いを増す。
ゆっくりと封筒に手を伸ばす。
冷や汗が背中を伝ったのがわかった。
何が書いてあるのかはわからないが、この封筒を開けて中身を見てしまえば
今まで杏奈と積み上げてきた全てが崩れて終わってしまうような気がして
手にとったまま、封筒を開けられないでいた。
人も、ものも、なんでも、壊れるときは儚い
と杏奈が言っていたが、なんとなくその意味がわかるようだった。
人間は自分の体より何百倍も小さい鉛で身体を打ち抜かれただけで、一瞬で散る。
恋愛だって「さようなら」の一言で、何年も何十年も積み重ねてきたものがあっけなく終わりを告げることがある。
生きるとは、儚いことなのだ。
杏奈の居ない杏奈の部屋で俺は
封筒を握りしめたまま、動けないでいた。