タレントアビリティ
「……あれ?」
「そんなボロボロで奏でる必要は、ないでしょう?」

 銃を投げ捨てて音楽準備室へ歩く。軽いノックの後に「いらっしゃい」と一言。ドアが開き、誰かしらが入ってくる。風音がそれを見ただけで、ガクリと膝を折ってしまった。
 爽やかなオジサマ。そう添が形容したまさにその人が、辛辣な表情でその場に立った。別のバイオリンケースを手にした、拍律風音がこだわる人。

「お父、様……」
「……済まない、風音」
「ど、して……」
「今は言えないよ。済まないな、風音。けれど、さっきのお前の言葉は、はっきり聞いた」

 びくりと肩を震わせる。黒いえんび服に身を包んだお父様、拍律響が風音の肩を叩く。

「済まない、風音」
「悪いのは、私ですよ……? お父様が期待している演奏をろくに出来ないんですから、私なんて、下手なだけで……」
「それは否定出来ない。ただな、風音。音楽は誰のために奏でるものだか、お前は分かってるじゃないか。誰の音楽なのか、お前はそれを必死で求めていたじゃないか。それでいいんだよ、風音は」

 優しく笑う父親の表情を、風音はぼうっと見ていた。そして突き出されたバイオリンケース。中に入っていたのは、今の風音にはちょっと小さなバイオリン。
 風音は覚えている。自分が最後に父の前で奏でた演奏の香りを。頬から伝わるバイオリンの音と香りは、今まさに手元にある。

「何でもいい。どんな曲でも、どんな音でもいい。今のお前の演奏を聞きたいんだ。拍律響としてじゃあない。一個人として、拍律風音の演奏を聞きたい」
「でも……」
「弾けよ、風音さん」

 添が声を上げた。見たくなかったのに見たかった今の光景を無意識のうちに後押しするために、添は言う。
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