アリスズ

 梅の、千倍は扱いやすかった。

 景子の髪は、とても柔らかく、そして言うことをききやすかったのだ。

 猫っ毛の天パ。

 本人にしてみれば、いやな組み合わせなのだろうが、編む側としてはこんなにも楽な頭はない。

 路地に打ち捨てられた木箱に景子を座らせると、菊は髪を編みこみ始めた。

 前髪以外の部分を、全部櫛で掬い取るようにして編みこんでゆくのだ。

 二つに分けると幼くなってしまう景子は、それもいやがっているようだった。

 なので、菊は中央に髪を集める、1本に編み込んでゆく。

 軸をぶらさぬように。

 真芯を貫く。

 路地の入口に気配を感じて、菊は一度指を止め、視線をそちらに向けた。

 かごをもった少女──あの、油売りの少女が、何事かとこっちを見ているのだ。

 景子の髪を、心配した子だった。

 目が合うと、とことこと近づいてくるではないか。

 菊は、再び編みこみを続けた。

 細かく細かく、油を使って脇の髪を引き寄せる。

 艶と照り、か。

 菊は、その部分だけ言えば、髪のことは考えていなかった。

 浮かんでいたのは──煮物や照り焼き。

 空腹感も手伝ってか、頭の中は和食がよぎっていた。

 この世界での食事に、文句をつける気はないが、やはり身体が醤油を欲しがるのだ。

 ブリの照り焼き。

 最後に髪の端を紐で止めつつも、菊の頭には雑念が入り込んでいった。

 おかげで。

 真芯を通すつもりが、最後のところだけわずかにずれた。

 あー。

 まだまだ、修行が足りないなあ。

 菊が、食欲に負けた己に反省していると。

 少女は景子の背後に回って、編み上がった髪を真剣に眺めていた。

 そして。

 菊に向かって、ぴょんぴょんと跳ねながら、何かを語りかけるのだ。

「私も、これと同じように編んで、って…」

 景子に通訳され、少女を見る。

 真剣そのもの目だ。

 うーん。

 ブリの照り焼きを、頭から追い出す修行が出来そうだった。
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