アリスズ
☆
「ケイコ…何かあったかい?」
苦笑されて、景子はびっくりした。
無意識の内に、アディマをじーっと見ていたのだ。
「あっ…いや、何もっ」
宿を出ながら、景子は顔の前で両手を振った。
それ以上問われなかったが、何か言いたげにしばし見つめられる。
ああー、そんなに見ないでー。
イデアメリトスなるものが、少しずつ分かってくるにつれ、景子はどんどん複雑な気持ちになってゆくのだ。
知らない間の彼女は、とても無謀なことばかりをしていた。
お忍びで旅をしているアディマに、その名を名乗らせた。
命を狙われている真っ最中に、だ。
こんなにのんきな大馬鹿者は、どこを探してもいないだろう。
隣で眠り、言葉を習い――貴重な魔法を使わせた。
だが、景子はイデアメリトスを知ってしまったのだ。
言葉を知り、世間を知り始めた。
だから、分かってきた。
この都へ向かう復路は、どんどんアディマが遠くなる旅になるのだ、と。
彼のために、出来うる限りのことはしたいと思う。
ただ。
ただ、彼が一度だけ口にした戯言は、いたずらなそよ風ひとつで吹き飛んでしまうことだけは、よく分かったのだ。
梅のいる領土が、近くなってきたことを聞きながら、景子はそんなことに、思いを巡らせていた。
夢物語に踊らされる年が過ぎ、景子が地に足をつけ、根をおろしたのは、いくつになってからか。
「ケイコ…少し話をしよう」
休憩の時、アディマにそう誘われた。
自分でも、自身の感情の流れに驚くほどだ。
彼に、気づかれないはずなどなかった。
「ええ」
景子は、それに笑顔で応じる。
ただ、二人きりにはなれない。
ダイが、離れないからだ。
でも、景子はもう、誰が聞いていてもよかった。
深呼吸したら、落ち着いた。
「ふふ…私ね、アディマに言ってなかったことがあるんだ」
リサーが、聞き耳を立てている。
景子は、笑顔を浮かべた。
「私ね…31歳なの」
そよ風が――吹いた。
「ケイコ…何かあったかい?」
苦笑されて、景子はびっくりした。
無意識の内に、アディマをじーっと見ていたのだ。
「あっ…いや、何もっ」
宿を出ながら、景子は顔の前で両手を振った。
それ以上問われなかったが、何か言いたげにしばし見つめられる。
ああー、そんなに見ないでー。
イデアメリトスなるものが、少しずつ分かってくるにつれ、景子はどんどん複雑な気持ちになってゆくのだ。
知らない間の彼女は、とても無謀なことばかりをしていた。
お忍びで旅をしているアディマに、その名を名乗らせた。
命を狙われている真っ最中に、だ。
こんなにのんきな大馬鹿者は、どこを探してもいないだろう。
隣で眠り、言葉を習い――貴重な魔法を使わせた。
だが、景子はイデアメリトスを知ってしまったのだ。
言葉を知り、世間を知り始めた。
だから、分かってきた。
この都へ向かう復路は、どんどんアディマが遠くなる旅になるのだ、と。
彼のために、出来うる限りのことはしたいと思う。
ただ。
ただ、彼が一度だけ口にした戯言は、いたずらなそよ風ひとつで吹き飛んでしまうことだけは、よく分かったのだ。
梅のいる領土が、近くなってきたことを聞きながら、景子はそんなことに、思いを巡らせていた。
夢物語に踊らされる年が過ぎ、景子が地に足をつけ、根をおろしたのは、いくつになってからか。
「ケイコ…少し話をしよう」
休憩の時、アディマにそう誘われた。
自分でも、自身の感情の流れに驚くほどだ。
彼に、気づかれないはずなどなかった。
「ええ」
景子は、それに笑顔で応じる。
ただ、二人きりにはなれない。
ダイが、離れないからだ。
でも、景子はもう、誰が聞いていてもよかった。
深呼吸したら、落ち着いた。
「ふふ…私ね、アディマに言ってなかったことがあるんだ」
リサーが、聞き耳を立てている。
景子は、笑顔を浮かべた。
「私ね…31歳なの」
そよ風が――吹いた。