アリスズ

「都へ…行かないか?」

 菊は、白い髪の男──トーに声をかけた。

 おそらく、自分は分かっていて彼にそう言っているのだ。

 自分のことだというのに、菊の中には不思議な感覚がわだかまっている。

「私が? 太陽の都へ…?」

 面白い冗談を聞いたかのように、彼は笑い声を洩らす。

「そうだ…太陽の都へ」

 菊にとっては、冗談などこれっぽっちもない。

「行ってどうする」

 彼の指が、白い髪に触れた。

「さあ…美しい月の物語でも、語ったらどうだ?」

 この国は、損をしているのだ。

 昼と夜は、平等にこの国の上に訪れるというのに、夜を毛嫌いしている。

 暗い中でこそ、見える物もあるのだ。

 同じように、暗い月だからこそ、そこに輝く意味はあるに違いないというのに。

 夜を愛でず、太陽にのみしがみつく世界は、残念ながら菊は余り好きになれなかった。

「面白いことを言うのだな」

 欠けた脚の椅子の上。

 ゆらりともせずに、トーは彼女を見る。

「歌が得意なら、月の歌でもいいぞ」

 無意識に、菊は己の腰の笛に手を触れた。

「歌か…もう長いこと、歌など歌っておらんな」

 喉に触れる大きな手。

「だけど、歌を忘れたわけではないだろう?」

 そうだ、と。

 菊は、ふとあることを思いついた。

 ここまで、彼女は都へ行くための旅路を進んでいた。

 その初期で、見たものを思い出したのだ。

「都へ行く気にならなければ…一緒に北へ行かないか? 見せたいものがある」

 都から、再び遠く離れようと、トーに持ちかける。

 いいのだ。

 急ぐ旅では、ないのだから。

「北へ?」

「そう、北へ…そこに、美しい夜がある」

 それを思い出した菊は、我知らず目を細めていた。
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