アリスズ

「ウメ、ウメ!」

 いつものイエンタラスー夫人の声に、梅はエンチェルクを伴って向かったのだ。

「あら…」

 行商の男が、そこにはいた。

 夫人御用達の、あの布を縛りつけた男。

 いつものように、夫人には珍しい物を、梅には本を取り出してくれる彼だったが、その視線が物言いたげに彼女を見つめてくる。

 何か、あったのだろうか。

「ああ…そうだ。テイタッドレック卿のお屋敷に、この後寄られるのでしょう? 返して欲しい本があるのだけれど、配達みたいなことは頼めないかしら」

 その視線も気になったので、梅はそう切り出してみた。

 言葉にしたことは、嘘ではない。

 ただ、別に急ぐことでもないのだ。

「ええ…承ります」

 男の視線が、ゆっくりと頷くように動く。

 そして、夫人を珍品の前に残し、彼とエンチェルクを伴って、梅は自分の部屋へと戻ったのだ。

 男が、ちらりとエンチェルクを横目で見る。

 彼女の前で、言っていいかどうか気にしているのだろう。

「構いません…どうぞ」

「???」

 梅と男の間の空気に、一人ついていけてないエンチェルクは、落ち着かなくきょろきょろと二人を見る。

「昨夜…」

 行商人の男は、語り始めた。

「昨夜…ここより少し南の小街道で、ご姉妹をお見かけしました」

 見知らぬ男と、一緒にいたという。

 そして、彼はためらいながら、こう続けたのだ。

「あなたのご姉妹は…枯れ木に花を咲かせていました」

 あ。

 反射的に、梅は自分の唇を塞ぐ。

 爆笑しそうになったのだ。

 そのため、身体が折れ、肩を大きく震わせる結果になってしまった。

「だ、大丈夫ですか?」

 具合が悪くなったと勘違いしたエンチェルクに、「大丈夫よ」と言うまで──ゆうに三分はかかってしまった。
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