アリスズ

「具合が悪いだろう?」

 夜の旅路で、突然トーに言われた。

「は?」

 本当に突然で、自覚のないことだったので、菊は怪訝な返事をしてしまった。

 その返事をした瞬間。

 足元がふわっとした。

 反射的に、しっかりと地面を踏みしめたが、そこで菊は気づいたのだ。

 たったいま。

 熱が上がった、と。

 自分の管理は、しっかりとしてきた菊だ。

 自覚症状が出れば、すぐに気づくことが出来る。

 しかし、トーは彼女が自覚する一瞬前に言い当ててしまった。

 宗教家、声楽家。

 菊は、彼に似合う仕事を考えていたが、それに新たにひとつ追加しなければならない気がした。

 医者。

「いま来た…その通りだよ」

 菊は、即座に白旗を揚げた。

 無理をすべきところではするが、ここはその場面ではない。

 昨日は天気が悪く、南に向かっているというのに、雨が降って冷えたのだ。

 おそらく、そのせいだろう。

 早めに治しておくに限る。

 とは言うものの、いまは真夜中。

 しかも、山道だ。

 火をたいて、木陰で休むくらいしか方法はないだろう。

 だが。

 昨日の天気は、ここでも影響を与えていて。

 木々が、見事にすべてしけっていたのである。

 これでは、マントにくるまって震えているしかなさそうだ。

 菊が、あきらめてドスンと座り込んだ時。

 トーが──歌い始めた。

 小さい音だが、暖かい歌だった。

 って、え?

 菊は、驚いた。

 本当に、周囲の温度が上がり始めたのだ。
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