アリスズ

「すごいな…」

 歌を止めたトーに、菊は本当に感心したのだ。

 マント一枚でも、十分しのげる暖かさに包まれていた。

「歌ならたいしたことはない…ほんの少し、何かを動かすだけだ」

 謙遜でもなんでもなく、トーは本気でそう思っているようだ。

 ほんの少し。

 ほんの少し後押しして、彼は桜を咲かせ、死者をどこかへ送り、気温を上げる。

 だが。

 歌なら──その表現に、引っかかる。

 まだ、トーは隠しているものがあるのだ。

 歌以外ならば、もっと大きく何かを動かせるのだと。

「魔法…とかいうものか?」

 菊は、熱でぼんやりしながらも、その単語を思い出していた。

 アルテンとの旅路で、覚えた言葉だった。

 捧櫛の神殿にたどりついた時、イデアメリトスの話になったのだ。

「歌っていればよかったのだ。皆、ただ、歌って暮らせば…」

 トーの声には、悔いる感情が染み渡っている。

 魔法など、使わなければ──菊には、そう聞こえた。

 よく分からないが、魔法はトーにとって危険なものなのだろう。

 歌は問題ない、ということか。

「トー…やはり、トーは宗教家になれるな。歌だけで十分に、だ」

 暖かさと熱で、うつらうつらしながら、菊は笑っていた。

 彼の後悔など、正直どうでもいい。

 トーの血族が何をしようが、それは彼らが自分で選んだ結果だ。

 そんなものまで、トーが背負う必要などなかった。

 それより。 

 この歌でも、菊にとっては十分魔法に思えた。

 魔法は、イデアメリトスだけしか使えないと、一般の人々は信じている。

 それ以外の者がちょっとでも使えば、簡単に奇跡の人の出来上がりではないか。

「おかしなことを言うな…お前は」

 トーは、困った笑顔を浮かべている。

 そんな顔を瞳に残して、菊は目を閉じた。

 後は。

 この、どこに出しても恥ずかしくない人見知りを、どうにかしなければ。

 菊は、そのままぐっすりと眠ってしまった。

 朝まで。
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