アリスズ

 翌朝早く。

 景子は、自室に戻ろうとした。

 アディマのかけてくれた影の魔法のおかげで、ほとんど人目につかずに西翼へと帰れたのだ。

 だが。

 自室の前に、ロジューの部屋があり。

 その部屋の前を通り過ぎる時、扉が開いたのだ。

 にゅっと伸びてくる褐色の腕が、景子の襟首を掴んで部屋に引っ張り込む。

「お早いお帰りだな」

 影の魔法は、イデアメリトスには効かないのか。

 それとも、東翼に入ったら切れるようになっていたのか。

 よく分からないまま、軽く彼女はロジューに捕獲されたのである。

「お、おはようございます」

 朝帰りのことを、責められるかと思った。

「私はすぐに戻らねばならなくなった…いま、朝食の準備をさせているから、ちょっと付き合え」

 ロジューは、ぶすったれた顔でソファに強く座り込むのだ。

 はぁ、と景子は向かいに小さく座る。

 大急ぎで運ばれる朝食が並んで行くのを見ながら、景子は不機嫌な表情を変えない彼女の顔をちらちらと見ていた。

 使用人が下がると、おもむろにロジューはパンを掴み上げた。

「昨日、歌を歌う者の話をしたろう」

 あー。

 アディマの喉の異物の話を思い出して、景子はどんよりした。

 最初は、好奇心を隠さなかったロジューだというのに、一晩でこの表情である。

「兄者に言われてな…私が先鋒で行くことになった」

 パンにかぶりつきながら、彼女は言葉とともに奥歯で何かを噛みしめていた。

「歌う者が魔法を使う者であったならば、イデアメリトス以外がいっても返り討ちにあうだけだからな」

 返り討ち。

 その不穏な言葉に、景子はぞくっとした。

 イデアメリトスならば、対等に戦えるかのような表現だったのだ。

 そんな。

「おなか…子供がいるのに」

 遠い旅路の荒事に、ロジューを使うのか。

 景子は青くなった。

 ちらりと、彼女は自分の腹部を見る。

「しょうがあるまい…イデアメリトスにとって、私とこの子が、一番優先順位が低いのだ」

 ロジューは、割り切った物言いをしていたが──苦い表情だけが、全てを裏切っていた。
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