アリスズ
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 人々が、立ち去ってゆく。

「おやすみなさい、良い明日を」

 多くの人々が、男に声をかけ、指先を触れあわせ──目に涙さえ浮かべる者もいる。

 うちに泊っていってくれと、懇願する者が数名残る頃。

 ダイは目を閉じて、己の酔いをさまそうとしていた。

 もっと、暴力的な魔法というものを想像していたのだ。

 彼は、その身に魔法を受けたことがある。

 祭りの時、ケイコの部屋のドアの番をしていた時のことだ。

 本当に、不思議に思うことも、あらがうことも出来ずに、彼は眠らされた。

 イデアメリトスの魔法の前では、ダイなどただのデクなのだ。

 それほど、暴力的なものだった。

 しかし、この歌は違う。

 聞かないという選択肢も、歌にあらがうことも本当は出来る。

 だが、聞きたいと思わされるのだ。

 類まれな歌い人と言ってしまえば、それで終わりかもしれない。

 少なくとも。

 彼が、この仕事をしていなければ、魔法の力を含んでいるなんて考えもしなかっただろう。

「ダイ…彼は、トーだ」

 そして──ついに、男と引きあわされた。

 ダイは、ゆっくりと目を開けて、白髪の男を見る。

 精悍ではあったが、攻撃的ではない。

 穏やかではあったが、中心に鋼よりも固い何かがある。

 彼は、キクに似ている気がした。

 二人とも、何かを求めているわけではないのだ。

 自分が、自分らしくあろうとしているだけ。

 だが。

 ダイは、斬れと命じられれば、斬らなければならない。

 この二人を。

 すぅっと、息を吸った。

「領主の屋敷に、彼女がいる。彼女は、お前を心配している…」

 彼は、紹介された男から、キクへと視線を移した。

 へぇ、と彼女は目を細める。

「トー…領主の屋敷に行こう。きっとそこには、いい事と悪い事が待っている」

 彼女は、楽しげだ。

 悪いことも、キクにとって障害ではないのだろう。

「そうか…分かった」

 男は、無条件にキクを信頼しているようだった。

 ダイは、苦笑した。

 これではまるで、自分たちが悪者のようだ、と。
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