アリスズ

 廊下の向こう。

 ダイが歩いてくるのを、菊は確認していた。

 その前に、小さな御曹司がいることも。

 興味深げな、猫目石の目が双子を見る。

 おそらく、服装のせいだろう。

 梅と共に足を止め、軽く会釈をする。

 菊にしてみれば、彼の食客になるようなものだ。

 どこまで話が通じているかは、別として。

 たとえ、景子だけ連れて行く気であったとしても、勝手にくっついて行けばいいだけのこと。

 こっちが向こうの事情が分からないように、向こうもこっちの事情など分かりはしないのだから。

「───…」

 何か語りかけられる。

 梅は、それに軽く頷く。

 何だかんだで、双子の相方は人とのコミュニケーションがうまい。

 空気を読む能力と、人の心の機微に敏感なのだろう。

 御曹司の視線が、ふっと周囲を泳いだ。

 梅も、それに付き合った後、少し表情を曇らせた。

「景子さんなら、お部屋に残ってらっしゃいますよ」

 ただの事実を伝えるには、少し抑えめの声。

 言葉に、御曹司のまつげが反応したのを、菊はしっかりと見た。

 それきり、彼らはただすれ違ったが。

 菊は、ちらりと自分の相方を見た。

「何、考えてる?」

 あれでは、まるで景子に心配事があるかのように伝わるではないか。

 梅が、わざとやっているようにしか思えなかった。

「そうね…景子さんの今後のことかしら」

 小さく笑う。

「景子さんが安全なところに落ち着くまで、菊も守って差し上げなさいよ…恩人なのだから」

「分かってるよ」

 まったく、いろんな意味で恩人だよな。

 迂闊な言葉が頭に浮かびそうになって、菊は自重した。

 しかし、梅にその空気は伝わってしまったのか。

 横目で、悪戯をした子供のような瞳を送ってくる。

「何だ…梅もこの世界が気に入ってたのか」

 菊は──少し呆れて笑った。
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