アリスズ

「え、ええー!」

 袴姿で、楽しげに景子の部屋にやってきたかと思うと、菊はとんでもない話を始めた。

 アディマの父と、剣術道場を作る話を取りまとめたと言うのだ。

 本人が、一人で宮殿に乗り込んで行った事実だけでも驚きだったが。

 そこで、ダイと思う存分試合をしたとまで聞いたら、感心するしかなかった。

「どうせ、梅もそのうち来る…景子さんも、ここでの居候も窮屈だろう?」

 そして。

 なんとあっさりと。

 菊は、梅も景子も道場で暮らす話をするのだ。

 当たり前のように。

 そう、当たり前の――家族のように。

 ああ。

 身体の中を血が流れているという、普遍の事実と同じほどの理由で、菊の中には愛が流れている。

 剣で立てた身で、身内への愛を返すのだ。

 そんな、骨太の愛を目にする日が来るとは、思ってもみなかった。

 驚きと感動で、景子が動けずにいると。

「ただ…ダイをまた困らせたようだ…私と知り合ったのが運の尽きだな」

 ふっと。

 菊が思い出し笑いをした横顔は――とても美しかった。

 いつもの美しさとは違う、微かな艶がそこにある気がしたのだ。

 景子は。

 どこからどう話をしていいか、分からなかった。

「ええと…とりあえず、しばらく都に滞在すると言うこと?」

 混乱する言葉を、ひとつ掴みあげる。

「そう…不興を買うか、道場を任せられる者が出るまでは、ね」

 皮肉を混ぜてはいるが、明快な返答。

「そこに、私も置いてくれるの?」

 ワケあり身重の、農林府の下っぱを。

 どこが長所か欠点か、自分でもよく分からない。

「そうしたら…みんなで景子さんの子供たちを育てられる」

 夢のような。

 まるで、夢のような物語が、そこにはあった。

「わ、わた、わたし…一生懸命稼いで来るから! すごい農業技術者になるから!」

 そんな夢の中に、ただ浸かっているだけ、なんていう体たらくをしないためには。

 景子は、景子の目標に向かわなければならない。

「期待しているよ」

 菊は、彼女の言葉を、何一つ疑うことのない笑みで答えたのだった。
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