アリスズ

 リク。

 行商人は、そう名乗った。

 景子が、彼の名を聞いたのだ。

 あれ?

 これまで、この国の人が名乗る時、決して短い名前を言おうとはしなかった。

 だが、彼は自ら短い名を名乗る。

 その意図を汲み取る前に、ずいぶん前の記憶が呼び戻されていた。

「リク…パッシェルイル?」

 名前だけ、聞いたことのあるその音。

 それは、彼を驚かせたようだ。

「何故…俺の名を?」

 怪訝な声に、景子は喜んだ。

 そうか、彼がリクさんだったのか、と。

「捧櫛の神殿に行く時、妹さんの家にお世話になったんです!」

 記憶の糸は、次から次へと旅路を引きずり出す。

 小さい男の子の、お母さんだ。

 ご縁から、景子が祝福を与えた子供だった。

「ああ…そうだったのか。俺の事は、良くは言ってはいなかっただろう」

 バツの悪そうな声で、彼は天を仰いだ。

「心配してらっしゃいましたよ…」

 答えつつ、何か引っ掛かって首を傾げる。

 そういえば。

 彼女は、兄は神にそむく姿をしていると言っていなかったか。

 だが、一体どこを指しているか分からず、じっと見つめる。

 そして。

 ふと、彼のトレードマークである頭の布をみやった。

 もしかして、と。

「もしかして…髪がありません?」

 思えば、なんと不躾なことを聞いたのか。

 だが、この時は本当についぽろっと言葉を出していたのだ。

 リクは――苦い笑みになった。

「この頭では、どうにも商売がしづらくて…誤魔化している」

 縛っている布が、取り払われる。

 ぴっかぴかに太陽を反射する、そり上げられた頭。

 な、なるほど。

 この、髪をやたら大切にする国で、こんな頭をしていたら、神にそむいたと言われても仕方がないだろう。

 けれど。

 何故。

 商売がしづらいと分かっていながら、彼は髪を捨てたのか。

「あなたたちは、三人とも好奇心で生きているな」

 布を再び縛りつけながらも、彼の方こそ好奇心を秘めた声で景子を見るのだった。
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