アリスズ

 ここは、本当に宮殿の敷地内だろうか。

 詰所の周囲は、近衛兵士だけとは思えない数多くの兵士が群れ、東翼のバルコニーには、貴族然とした者たちが広場を見下ろしている。

 遠巻きに、女官たちさえいる始末だ。

 息をつめたり、どっとどよめいたり。

 何かを、彼らは強い視線で追うのだ。

 ああ、なるほど、風物詩ね。

 本物ではない、木製の剣を打ち合う音。

 梅の耳にまで、確実に届く山本家の呼吸。

 あの人たちの中央に、菊がいるのだ。

「ああ、ウメ…終わったのか?」

 宮殿内にいる、親戚のところを訪ねると言って別れたアルテンが、群れの後ろの方に立っていた。

 彼は背が高く、そこからでも菊を見られるのだろう。

「何を…考えているのかしらね、私の姉妹は」

 小さく、梅はため息をついた。

 菊ほど我が道を行く者はいないというのに、菊ほど自分の居場所を作るのがうまい者もいない。

 呆れるを通り越して、感心するしかなかった。

「自分がヤマモト・キクであることを、考えているんだろう」

 アルテンが、薄く笑う。

 大きな歓声がわいた。

 どうやら、戦いに決着がついたようだ。

「次は…ああ、アルテン…久しぶりにやるか?」

 群れの向こう。

 よく通る声が、背の高い彼を見つけたようだ。

 聞きなれた菊の声。

 集団の視線が、一気にアルテンに向かう。

 領主の息子らしい、きちんとした身なりをした彼に向かって、菊はまったく臆せず呼びかけたのだ。

 兵士と訓練で戦うのとは、意味が違う。

 平民とは、明らかなる線引きがされている階級社会。

 その階級社会の、ド真ん中とも言える宮殿の敷地内で。

「お手柔らかにお願いします」

 アルテンは、表情を引き締めて、前へと進み出るのだ。

 そんな中。

「あ、あっちで見られるみたい」

 景子は、上を指差した。

 誰もいなかった一区画のバルコニーに、イデアメリトスの後継者が現れたのだ。

 彼は、こちらに向かって手招きをしている。

「行きましょうか」

 ここにもまた──笑顔で、階級社会にヒビを入れている女性がいた。
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