アリスズ

「お手柔らかにお願いしたつもりですが」

 脇腹を押えながら、アルテンは落ちた木剣を拾い上げた。

 痛いことに対する不服というよりも、苦笑に近い様子に見える。

「お手柔らかにしたからこそ、そんな痛みで済んでいる」

 礼の後、菊はアルテンの腕を叩いて応えた。

 どっと。

 周囲から歓声がわくが、彼女の耳にはセミの声と大差ない。

「ウメが来てますよ」

 セミの大合唱の中、アルテンはそう語りかけてきた。

「ああ、だからお前が都にいるのか」

 おかげで、菊はようやくその理由を理解したのだ。

 護衛でもしてきたのだろう。

 ついに、来たか。

 ふぅと息を整え、菊は相方のことを思った。

 いつか、都に行くと言った時の梅は、本気だった。

 本気で、都に行きたいと願っていた。

 自分の身体が弱いことを理由に、避ける道を選ばなかったのだ。

 これまでの梅は、避けていた。

 自分の身体では無理だと思ったことを、上手に上手に避け、そして出来ることだけを不満も言わず、一生懸命にやってきた。

 その殻を、ひとつ打ち破ったのだ。

「しばらく、都にいられるか?」

 菊の相手をしたがっている兵士が、そわそわと彼女の方を見ていることに気づく。

 視線を彼に向け軽く頷きながら、彼女はアルテンに問いかけた。

「そうですね…そう何度も来られるところではありませんし、親戚のとこに住まいも確保しましたので、1年ほどはいられるかと」

 1年!

 菊は、ニヤリとした。

「上出来だ…1年、私の道場を手伝ってくれると助かるんだが?」

 来月には、道場が完成する。

 そうすれば、山本流の剣術を教えられるのだ。

 その際、アルテンといういい見本があると、菊は非常に助かるだろう。

「キクについてこられる者が…何人いるのやら」

 彼は、苦笑しながら、自分の手の木剣を次の兵士へと渡す。

「追い越されないように、お前も注意しろよ」

 ひと通り笑いをおさめた後、菊は兵士と向き合ったのだった。
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