アリスズ

 確かに、エンチェルクの両手はみっともなかった。

 幾度もマメがつぶれ、赤黒く汚れてしまっているのだ。

 宮殿に、確かにこの手はそぐわないかもしれない。

 自分は、いいのだ。

 少々みっともなくとも、平気だ。

 しかし、この手のせいで、ウメが恥ずかしい思いをしてしまうのなら、何とかしなければならないだろう。

 エンチェルクは、宮殿の脇にある井戸へと向かった。

 熱を持ってズキズキと痛む両手を、そこで洗おうと思ったのだ。

「あ、エンチェルクさん」

 涙目になりながら、手を洗っていると──呼びかけられて驚いた。

 知り合いなど、ここにはほとんどいないのだから。

 見ると、ケイコと呼ばれる女性が、そこにいた。

 ここは、東翼だ。

 彼女は、イデアメリトスの君の奥方になる方なので、ここにいても全くおかしくはない。

「あ、井戸をお使いですか…失礼致しました」

 エンチェルクが、慌てて下がろうとすると。

「ううん、そうじゃないの。あなたの姿が見えたから…梅さんは元気?」

 近い将来、正妃になられる方だというのに、ケイコは見事な庶民の香りを漂わせていた。

 一人の護衛が付き従っているが、その事実に、困っているようにも見える。

「はい、お元気にしてらっしゃいます。新しい側仕えの方が付かれました」

 言いながら、エンチェルクは少し寂しくなっていた。

 今まで、ウメの側仕え──いわゆる、理解者は自分しかいないと思っていたのだ。

 そこへ、貴族階級の少年がやってきたのである。

 きっと彼女より賢く、役に立てるだろう。

 そんな、エンチェルクの寂しい心を、見透かされた気がした。

 ケイコが、困ったように微笑んだのだ。

「梅さんを、助けてあげてね。すぐ側にいる味方は、あなただけだと思うから」

 目の奥が、じわっと熱くなる瞬間だった。

 ウメの国の人は、みなちゃんと分かっているのだ。

 ケイコもキクも、ちゃんとエンチェルクを見てくれる。

 ああ。

 これが──これが、報われる幸せなのか。

 エンチェルクは、ウメに仕えていて、本当によかったとかみ締めたのだった。
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