アリスズ

 手の汚れは、さしては取れなかった。

 どう考えても、マメの部分が治らなければ、ヤイクの希望に沿う手にはなれないだろう。

 少しずつ、硬く厚くなっていく手のひらに、エンチェルクは微かな不安はあった。

 きっと、そう遠くなく、女性らしい手を失うだろう、と。

 だが、それは同時に、恥ずかしくないことだとも分かっていた。

 キクも、女性なのだ。

 彼女の手は、一度触らせてもらったが、とても厚く固かった。

 女性の手というよりは、鍛えている少年のような手。

 キクは、それを何ら問題には思っていない。

 そういう彼女を見ていると、エンチェルクも心を強く持つことが出来たのだ。

 ただ、それは。

 ヤイクには、通じない理論なのだろうが。

 どうしたら、あの少年とうまくやっていけるのか。

 首をひねりながら、エンチェルクがウメの執務室へと戻ろうとすると。

 ギクっとした。

 廊下に、ヤイクがいたのだ。

 こっちを、じろっと睨む鋭い視線。

 子供だが、彼は立派な貴族の風格を持っていた。

 彼女の根元に、当然のように突き刺さる、階級社会の目。

 エンチェルクは、小さくなってヤイクの前を通り過ぎようとした。

「おい…」

 しかし、彼の目標は、最初から彼女だったのだろう。

 黙って通してはくれないようだ。

 おそるおそる、彼の方を振り返ると。

「うちでよく使う軟膏だ…塗っとけ」

 ずいっと。

 小さな壷が、エンチェルクへと突き出された。

 反射的に受け取ると、ヤイクはすたすたと行ってしまった。

 その後ろ姿と、壷を交互に見る。

 ええと。

 エンチェルクは、首をかしげかけた。

 ただ、その傾いた頭に浮かぶのは──ウメの顔で。

 彼女が、また何か魔法をかけたのだと。

 それだけは、エンチェルクでも分かったのだった。
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