アリスズ

 何事も、平穏無事に順調に進んでいる──かのように見えた。

「シェローが…?」

 門下生の報告に、菊は表情を曇らせていた。

「はい、途中まで一緒だったのですが…別れたすぐ先で」

 道場で、稽古を済ませて帰る頃には暗くなる。

 その闇夜に紛れて、『何か』がシェローに手を伸ばしたのだ。

 子供の悲鳴に、門下生が駆けつけると、三人の男が子供を連れ去ろうとしていた。

「シェローを助けるので精いっぱいでした」

 結局。

 賊は逃げ、子供は無事だった。

 ふうん。

 菊は、目を細めた。

 これを、どう見るか。

 夜道を歩くシェローを、たまたまかどわかそうとした不埒者がいたのか。

 はたまた、この道場に通う子供と知っての狼藉か。

「分かった。これからシェローは、私が送ろう」

 どちらか分からない間は、用心をしておくに越したことはない。

 菊は、そう答えた。

「貴族が動いているのかもしれません…」

 アルテンが、小さく耳打ちしてくる。

 政治的な話は、菊よりもこの男の方が理解できるだろう。

 ちらりと横目で、彼を見る。

「異国の者が、イデアメリトスに取り入っている、と…よく思っていない者がいるのは確かですよ」

 ああ、なるほど。

 正妃に、政治に武術に──異国の者が、この都でうごめているのが気に食わないのか。

「それで、弱い者をかどわかして、私に痛い目を見せてくれようというのか」

 一番、まつりごとから遠い菊に、こんなことが降りかかってきているのだ。

 梅も景子も、弱音を吐くタイプではないので分からないが、不都合が起き始めているのかもしれない。

 やれやれ。

「お貴族様は、無駄にプライドが高くていけないな」

 菊が、アルテンにぼやくと。

「それを…私に言いますか?」

 彼は、困ったように笑ったのだった。
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