アリスズ

 エンチェルクは、道場に連れ出された。

 夜の道場は、真っ暗でお互いの顔も判別できない。

 しかし、キクはすたすたと歩き、木剣を取って帰ってきた。

 1本を、差し出される。

 この暗さでも、きちんとエンチェルク用の木剣を持ってきてくれている。

 何度も彼女のマメをつぶした、普通より少し軽い剣。

「生きるってことはね…」

 ビュッと、風が唸った。

 キクが、剣で空を切ったのだ。

 どう振っても、まだエンチェルクにはその音は出せない。

「すぐそこにある死を、近くに感じている時に、初めて実感することだ」

 ぞっと、した。

 気づいたら、自分の喉元に、キクの木剣の切っ先があったからだ。

 しかも。

 キクは、その剣に殺気を込めていた。

「怖いと思えるのは、生きているからだ。悲しいと思えるのは、生きているからだ。嬉しいと思えるのもまた、生きているからだ」

 すぅっと、剣が引かれる。

 同時に、殺気も消えた。

「梅はただ…精いっぱい生きたいだけ…生きる裏側に死があることなんか、梅は子供の頃から身体で知っている」

 ビュッ。

 キクの切っ先は、再び闇を裂く。

 この人たちの理論は、とてもとても難しい。

 生きるために生きると言っているようにも、死ぬために生きると言っているようにも聞こえる。

「でも…もし…本当に死んでしまったら?」

 おそるおそる、怖い言葉を口にする。

 暗い中。

 キクは、ゆっくりとこちらを向いて、剣を構えた。

 構えろと言われている。

 エンチェルクは、ごくりと唾を飲み込んで構えた。

「惜しんで泣くだろうね」

 切っ先が、微かに触れ合う感触が、指を伝う。

 笑いの振動は──そこには、なかった。
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