アリスズ

 テルの乳母は、しっかりした女性だった。

 というか、がっちりしているというか。

「私の息子を、是非に若宮のお側へ」

 と、景子がくる度に、息子の宣伝をしてゆくのだ。

 ああ、これかぁ。

 アディマに聞いたことのある、側仕え志願だ。

 イデアメリトスの嫁は、貴族から娶れない分、みな自分の息子や孫を、子供の側仕えにしたがる。

 それが、将来賢者の地位につける近道だからだ。

 最近、リサーも結婚したという。

 彼もまた、近い未来に生まれる我が子を、どちらかの側仕えに上げようと考えているのだろうか。

 ありえそうで、景子は笑ってしまった。

 忠義と、そして栄華への思いが渦巻く中心なのだ。

 景子は、テルを抱きながら、ゆっくりとわき上がる不安感にさいなまれていた。

「やぁ…景子さん」

 ノッカーを鳴らして入ってきたのは、菊だった。

 テルに祝福をくれた、第二の母だ。

「おっと…妃殿下、失礼いたしました」

 菊は、乳母の強い視線に気づいたのか、臣下の礼を取る。

 景子は、泣きそうだった。

 形式とは言え、彼女にそんな態度を取らせてしまうなんて。

 だが、乳母の視線は、本当に痛い。

 さっきまでの景子に対する視線と、菊への視線は余りに違っていた。

 出入り自由にしているはずが、これでは菊も来づらいだろう。

 テルの部屋で顔を合わせたのは、最初の頃以来だったので、菊がこんな扱いをされているとは思ってもみなかった。

 いや。

 想像すべきだった。

 景子は、ちゃんと想像すべきだったのだ。

 この階級社会の中で、梅や菊がどんな立場にあるのか。

 自分だけが、アディマの作った皮膜に守られ、のうのうとしている事実を知らなければならなかったのに。

「そんな顔を、若宮に見せずに…ほら、笑ってあげて」

 乳母の視線など、もはや物ともせず、菊はテルを抱き上げる。

 凛とした彼女の腕の中の息子は、今にも泣きそうに顔を顰めていたのだった。
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