アリスズ

 明日、アルテンが帰ってしまうという日の夜。

 菊が、男を拾ってきた。

「マリスだ。トーに用があるらしいんで、その用事が済むまで道場で寝泊まりさせる」

 ここの気候は、人を泊めるのに楽でいいな。

 気楽に、彼女は言い放つ。

 梅は、ゆっくりと男を見た。

 これまで、周囲にいた男のタイプとは違う。

 菊の周りには、自然と骨太の男が寄ってくるようで。

 ダイに然り、トーに然り。

 それに比べると、マリスという男は線が細く、気が弱そうだった。

 無精した髪に、色のこびりついた爪。

 独特の、油っぽい匂い。

「絵描きさんかしら?」

 梅が問いかけると、マリスはこくこくと頷いた。

「奇跡を描きに来たそうな」

 菊は神妙そうに言うが、目がそれを裏切っている。

 楽しい瞳だ。

「奇跡を?」

 彼女は何でも楽しむが、嘘は言わない。

 梅が復唱すると。

「はい! 前に私は奇跡を見たんです…あ、これを、本当はこれを届けに都に来たんです!」

 荷物を下ろすと、マリスはその中から丸めた紙を取り出す。

 紐でくくられたそれを、梅は受け取って──解いた。

「まあ…」

 梅は目を細めて、それを見た。

 男と女が、描かれている。

 女は、美しい枝を差し出し、それを男が受け取ろうとしている神々しい絵。

 今にも、輝きだしそうな光に包まれた絵だった。

「どれどれ…何だ、景子さんと御曹司か」

 菊が覗き込んで、そして、派手に笑った。

「あら、知らずにつれて来たの?」

 梅が、呆れて聞くと。

「私の周辺以外にも、奇跡なんてものがゴロゴロしてると思ってたのさ」

 彼女は、ゆっくりと肩をそびやかしたのだった。
< 470 / 511 >

この作品をシェア

pagetop