アリスズ

 後は、宴会だった。

 料理と酒が運ばれ、トーは歌い、マリスは絵を描き始める。

 シェローは、道場の隅でテルとハレに木剣を教えようとしているが、さすがにまだ早すぎるだろう。

「菊さん、結婚おめでとう。梅さんも、無事の出産おめでとう」

 景子が、何故か目を潤ませながら近づいてくる。

「ありがとう、景子さん。桃というの…抱いて下さるかしら」

 差し出される小さな身体を、彼女は嬉しそうに受け取った。

「こんにちは、桃ちゃん」

 この世界で、数少ない『桃』の意味を知る者。

 その呼びかけ方には、あの花の香りが含まれていた。

「遠くへ…私達は随分遠くへ来ましたね」

 桃を見つめた後、景子はシェローと遊ぶ二人の息子を見た。

 菊が結婚した事により、これまで通って来た過去を思い出さずにはいられなかったのか。

 異世界へ、来た。

 異世界の男と結ばれた。

 その男の子を産んだ。

 三人は、それぞれ微妙に違う道筋を通って、それでも生きてここにいる。

「ええ」

 梅は、微笑む。

「ええ…でも、来るべくして来た道です。この世界でなければ、私はおそらく子を産むことはなかったでしょう」

 梅の言葉に、景子はますます目を潤ませた。

 その目を、菊に向けるものだから困ってしまう。

 梅のように気の効いた優しい言葉など、すぐには思いつけないというのに。

「大丈夫、景子さん…幸せだよ」

 ありきたりの事実は、簡単に口から出る。

「よかった…本当におめでとう」

 なのに。

 景子は、眼鏡をかけていられないほど、涙を流し始めるのだ。

 異世界に放り出されても泣かなかった人が、安心したようにいっぱいに泣く。

 母のように。

 人のことを心配してくれていた人は──ここにもいたのだ。
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