アリスズ
-2人目のアリス-

「桃、いらっしゃい」

 内畑の脇を這う娘を、梅が呼ぶ。

 ゆっくりゆっくり這うものだから、しびれを切らしたエンチェルクが抱き上げてしまう。

 彼女は、誰よりも桃を甘やかす罪を犯している。

 栗毛で色白な娘は、菊の門下生たちのアイドルでもあった。

 シェローなどは、将来は桃を嫁にもらうのだと意気込んでいるほど。

 そんな娘を、楽しげに描く絵描きがいる。

 どうやら、絵のモチーフとしても気に入られているようだ。

 時々歌いに来る獅子にも、いつも愛しげに抱き上げられている。

 自分を、お姫様か何かだと勘違いしないか、いまから梅は心配していた。

 そんな、のどかな内畑の側の家。

「手紙、預かってきたよ」

 道場主が、戻ってくる。

 夫の家と行ったり来たりの生活をしているが、昔と何ら変わりない梅の姉妹だ。

 いや、少し変わったか。

 髪が、少し艶やかになった気がする。

 表情も、少し柔らかくなった気もする。

 彼女は、女でありながら、女には大変な仕事をしてきた。

 そんな中でも、彼女はまっすぐであろうとした。

 しなやかでもあったが、そのしなやかさがより深まったように思えるのだ。

 それもこれも、あの無口で大きな義兄弟のおかげだろうか。

 そんな菊から、渡された手紙は──二通。

 飛脚は、人々が情報に飢えていたことを表すかのように順調だった。

 手紙以外に、各地の情報や、行商人が数少なくしか運べなかった本類まで、沢山の荷が動くようになっている。

 寺子屋制度のおかげで、本の需要が全国で高まっているのだ。

 これから、印刷業界も花盛りになってゆくことだろう。

 手紙の一通は、イエンタラスー夫人からだった。

 自分の子のように梅を思ってくれる、愛情深い人だ。

 梅が、一生足を向けて眠れない相手。

 もう一通は。

「桃…」

 エンチェルクの腕の中で、じたばたと暴れている娘を呼んだ。

「いらっしゃい、一緒にととさまからのお手紙を読みましょう」

 梅は、小さい身体を抱き上げ──家へと戻って行った。
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