アリスズ

 はぁ。

 梅は、最後の晩餐が憂鬱だった。

 読んでも読んでも終わらない本の山。

 それと別れてしまうには、余りに辛かったのだ。

 散り散りに別れている本の情報を、少しずつ集めてひとつの世界を構築しなければならない。

 だが、まだ梅の頭の中は虫食いだらけだった。

「今日も、図書室の虫だったようですな」

 卿に言われ、梅は頬を染める。

 すっかり、屋敷中の噂になっているのだろう。

「素晴らしい本ばかりで、時を忘れてしまいますの。それも今日で終わりかと思うと、とても名残惜しいですわ」

 そんな彼女の言葉に。

 アルテン坊ちゃんの身体が、少し前に動いた。

「何なら…君だけもう少し、滞在を延ばしてもいいんじゃないかな?」

 いつの間にか、『お前』呼ばわりは消えたようだ。

 下心の見える言葉ではあるが、物凄い魅力のある言葉でもあった。

 一瞬。

 迷いの生まれた梅は、ちらりとイエンタラスー夫人を見てしまった。

 しかし、直後に迷いを消したのだ。

 梅は、夫人に向かって柔らかく微笑む。

 彼女が、とても寂しそうな顔をしていたからである。

 夫人には、夫がいない。

 入り婿だった夫がいたのだが、落馬で早く亡くしてしまったのである。

 子供もいない。

 そんな中、梅がやってきたのだ。

 こんな自分でも、彼女の心の慰めになっているのである。

「お言葉は、大変ありがたいのですが…」

 梅は、帰る決心をつけた。

 本ならば、またどこかで手に取る機会もあるだろう。

 急ぎ過ぎなくてもよいのだ。

 アルテン坊ちゃんは、ぶすったれたように椅子の背に身体を預ける。

 控えていたエンチェルクも、残念そうな顔をしていたのが微かな心残りとなった。

 また二日、荷馬車に揺られて帰るのだ。

 いまの梅のふるさとへ。
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