アリスズ

 山本菊は、見た。

 景子が獣に襲われているのを、彼女が先頭で追っていたのだ。

 そんな菊の頭の横を。

 水の玉が、追い抜いていった。

 水の玉──そう形容するしかない。

 青に近い透明な塊が、たわむようにすっ飛んでいったのだから。

 そして、彼女の刀が届かないほど先にいた、獣の背中に炸裂したのである。

 獣はもんどりうち、坂道を落ちてゆく。

 景子は、後方の異変に気づいたようで、木にしがみついて止まった。

 彼女に駆けつけながらも、菊は一瞬だけ後方を振り返っていた。

 そして、見たのだ。

 構えていたのは──御曹司。

 小さい身体を、支えていたのはダイ。

 青ざめていたのは、リサー。

 景子の無事を確認する菊の後方で、リサーの怒声が始まった。

 あの男が、御曹司に向かってこれほど強い語気で話すのは初めてである。

 そこまでのことを、やらかしたというわけか。

 くくっ。

 菊は、喉の奥で少しだけ笑った。

 いいじゃないか、と。

 そう、嬉しく思ったのだ。

 どこの馬の骨とも知れぬ景子を守るために、御曹司は頑張ったのである。

 少なくとも、リサーにこっぴどく叱責されるような大技をかましたのだ。

 骨のある人間を、どうして菊が嫌いになれようか。

 この件で、株が跳ねあがったと言っていい。

 ただ守られるだけのお坊ちゃんとは、ワケが違うと分かったからだ。

 叱責などものともせず、御曹司は彼をいなすと、景子の元へと駆けつけた。

「ケーコ…大丈夫?」

 その横顔を見て。

 ふぅん。

 菊は、面白く思った。

 さっきまでの彼より、男っぷりが上がった気がしたのだ。

 なるほどね。

 こうして少年は、男になるというわけか。

 菊は、ゆっくりと腰に定兼を戻したのだった。

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