たとえばあなたが
1989年3月24日金曜日、午後9時。
「ここのシナモンドーナツ、うまいんですよ。でも千晶ちゃんはシナモンが嫌いだから、ブルーベリージャム入りを買ってきました」
「悪いね、いつも。ありがたくいただくよ」
松田は、仲人を引き受けてくれた木村部長夫妻への挨拶のため、仕事帰りに木村の自宅を訪れた。
「明日行かれるんですか、横浜博覧会」
広いリビングの中央に置かれた茶色の革張りのソファ。
深く腰掛けて体を預けていると、上司の家だというのに優雅な気分になった。
そこで松田は、木村が見せてくれた博覧会の入場券を眺めた。
横浜博覧会は、万博ほどではないにしろ、かなりの規模の博覧会だ。
多くの企業が参加する一大イベントに、松田も少なからず興味があった。
「僕も一度は行こうと思ってるんです。感想、聞かせてくださいね」
と言うと、木村はうれしそうに頷いた。
会社で見せる仕事の顔とは違う、やさしい父親の顔。
木村には小学生の娘がふたりいて、そのどちらも、この笑顔に育てられた。
さぞかし幸せだろうな、と松田は思った。