その唇、林檎味-デキアイコウハイ。
 しかしそこで呆気に取られていられたのも、ほんの数秒。そのギャップを経て、私は気づく。


「あのさ…いつの間にタメになってんの」


 あくまでも、彼から見て私は上級生。昨日までは敬語だったというのに、突然のこの切り替えに納得できない。

 ……けれど、この質問に対する答えには、もっとずっと納得できなかった。


「まぁ先輩って呼ぶけど。先輩だなんて思えないし」


 酷い言われようだ。先輩だなんて思えない、それはどういう意味だ。

 確かに毎度毎度酷い目に遭わされてるのは私だけど。それが誰のせいかと言うと、他の誰でもない。この男、星丘 惺の――


「いいでしょ?もう名前で呼ぶ仲じゃん」

「はぁっ!?」


 誰でもいい。誰でもいいからこの男を地中深くに埋めて。黙らせて。これ以上誤解を招く発言をされては、色々な意味で私が生きていけなくなる。


「あれはあんたが…っ」

「惺。ちゃんと呼んでよ」


 思わず言葉を詰まらせる程の、何も知らずに見ればこの人はいい人なのだろうと勘違いしそうな、柔らかい微笑み。

 昨日の底なしに性悪なそれとは違って、私の逃げ場は一瞬でなくなる。


「さと、る……」


 「己の欲せざる所は人に施す勿れ」という言葉をまだ、この時期には習っていないのか。この文章で習わずとも、人生で一度は誰かから言い聞かされる言葉だと思うのだけど。

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