その唇、林檎味-デキアイコウハイ。
「その先輩、声掛けなかったの?」

「掛けようとしたらしいんだけどね、かなり奥の方に行っちゃったらしくて。流石に追っかけていくのはよくないんじゃないかって諦めたらしいよ」


 ……英断だったと思う。そこで追われていたら、私だったらどんな対応を取るか分からない。

 いいや、普通なら常識的に追わないのだけど、ここまで本気なら十二分に考えられる。


 興奮した彼女の声にもこの数十秒ですっかり慣れてしまい、既に聞き流す態勢に移行した。適当に頷きながら、何となく意味を理解したつもりになる。


 それにしても、直接見た訳でもないのに、あたかも芸能人を街で見かけて、握手してもらったかのような話しぶり。

 この弾丸トークで打ち負かせない人など、殆どいないのではないか。私は現に負けた。ここまで来ると、口を挟む間もない。


「……それにしても、今日は何だか人多いね」


 ふと周りを見回せば、ホームには普段以上に人、人、人。あぁ今日の電車は混雑しそうだ、と憂鬱な気分になる。


「だよね!この中に星丘 惺もいればいいのにぃ!!」


 まだ彼女はどこか眠ったままらしい。そこまで彼女に嬉しい偶然があろうものなら、私にも少し分けてくれたって罰は当たらないと思うのだが。

 ないない…そう否定しようとしたところで、すぐ隣から真っ黄色な声が聞こえてきたのだから、敵わない。


「凛呼!!いた、いたぁぁっ!!」

「……何、どこか怪我でもしたの」

「違くてっ」


 慣れた、とは言ってもこの急激なボルテージの変化に反応しない程、私の耳は鈍っていない。鼓膜が破れるかと思った。


「星丘 惺だよ!!」
< 4 / 41 >

この作品をシェア

pagetop