その唇、林檎味-デキアイコウハイ。
「ど、どうして――」

「…駅のホームで気づいたんです。長岡先輩は名前を聞いた事があったんで、とりあえず来てみたら先輩もこのクラスで」


 この台詞から読み取るに、彼がこのクラスに来た目的は私ということで。そして彼の声には、教室中の女子が確り耳を傾けていた。あぁ、一体どういうことか。面倒極まりない。

 一瞬自分に降りかかる火の粉に怯えたものの、ここまで大袈裟に騒がれたということは、逆に一頻り騒ぎきれば直ぐに落ち着くだろう。言い聞かせるしかないという状況ではあったけれど、一先ず最大の壁は、今目の前にいる人物に認定された。


「で、何の用で…?」

「……放課後、空いてますか?」


 何を聞かれるのか予測しているのだろうか、質問と答えの間が殆ど無い。

 バイトの時間までは多少余裕があり、空いていないことはない。土曜の授業は午前で終わるため、出勤準備の時間を考慮しても六時間近く空き時間がある。しかし。

 先程鎮めたばかりの恐怖は、いともあっさりぶり返した。予定はないなら作るまで、なのだが。

 自覚以上の混乱状態にあった頭で、そんなこと咄嗟に出来る筈もない。思考回路に少々の異常を来した私は、潔く最終手段に移る。


「え、ちょっと凛呼!?」


 それは他の何でもなく、―――信楽凛呼、脱走。

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