カウントダウン・パニック
「今から五年前、まだ私が花房歌劇団の準団員だった頃の話しです。当時入団したての若手で周りから注目されていたソプラノ歌手がいました。その方の名前は湯布院爽(ゆふいんさわ)。」
藤森は手にしていたペンを静かに置いた。
「彼女は本当に凄かった。私だって彼女の実力に嫉妬してしまうくらいの圧倒的な力を持っていたのですから。私も同じソプラノソリストとして負けじと頑張ったけど、彼女には勝つことが出来ない決定的な違いがあったの。」
「違い…ですか?」
「そう、彼女恋してたの。私は今でこそ夫がいますが当時私にとって恋愛なんて二の次。兎に角上に行く事しか考えてなかった。だから恋物語が多いオペラではとてもかなうわけがない。」
本城は少し顔を穏やかにさせ、当時の事を懐かしく思っているようであった。
「あの時の彼女、とてもキラキラしてたわ。結婚するの?って訊ねたら彼はとても立派な方だからそれに釣り合う女になってからなんて言ってたわ。だからあんなに頑張っていたのね。」
すると突然本城の顔から笑みは消えた。
「でもね、彼女を面白く思わない人もいたわ。新人って事で嫌がらせもかなり受けていたみたい。」