ラヴレス






知純が求めていたものは、心に馴染んだ「ちいちゃん」で、キアランよりも美しい発音の「知純さん」ではない。

陽向は、母は、彼のもとに居た。



『ちいちゃんと、呼んで欲しい』

知純のささやかで遠慮がちなお願いに、アランは破顔して頷いた。
とても嬉しそうなその表情に、知純は温かいなにかがじわりと滲むのを感じる。


「『私のちいちゃんは、母親が頼りにならないから、とってもしっかりしてるの。貴方のその箸の使い方を見たら、きっとお説教が始まるわよ』」

アランは、まるでそこに陽向が居るかのように話をする。
一言一句、漏らさないように。

他愛ない会話のひとつひとつを、知純に伝えてくれた。


「…だから、私は一生懸命、日本の箸の使い方を、練習したんです」

そうして照れ臭そうに笑う。
知純は、ただ単純に、このアランという男を好きになっていた。


母さんを裏切った「天使」。

その「天使」は、純白の翼もなければ金色の輪っかもない。
大好きな恋人の娘に気に入られようと、慣れない箸を練習するような、純朴な人間だったのだ。






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